『光る君へ』#48(最終回)「物語の先に」:memo

『光る君へ』#48(最終回)「物語の先に」:memo

2024年NHK大河ドラマ『光る君へ』全48話を無事「完走」した。おめでとう、ありがとう。

最終話は、[real timeの現場を描かない]演出にこだわっていた。道長の死も、乙丸の嫁の子も、いとさんの認知症発覚も、[既に起きてしまったあとのこと]として、視聴者に提示された。

特に秀逸だなあと思ったのは、道長の死の描写。倫子さんに頼まれたまひろさんが、初めて死の床の道長に会いに行ったときに、道長が布団の中から伸ばした左手を、まひろさんが握り、それで道長が心の底から安心する場面を先に描いているので、のちに、倫子さんが、布団から左手を出して事切れている道長を「発見」したときに、[道長がどうやって「一人で」死んだか]が、視聴者にはちゃんと分かるようになっている。輒ち、道長は、まひろさんが「続きは、また明日」と言って帰っていった誰もいない部屋で、「幻」のまひろさんに向かって左手を伸ばし、そしておそらく「幻」のまひろさんにその左手を取ってもらい、心から安心して息絶えたのだ。ちなみに、だから、視聴者は勿論、まひろさんも(当然倫子さんも、多分百舌彦も)、誰一人として、道長が息を引き取るその現場には居合わせてない。

乙丸の嫁の死の描写も「気が利いて」いた。最初いきなり、乙丸が仏像を彫っている場面が示され、視聴者は「?!」となる。「死んだのは嫁かな。それとも、もういつ死んでもおかしくない為時かな? まさか、いとさん?」などと考える。視聴者を焦らすように、その3人共がなかなか画面に現れないが、やがて、為時が姿を現し、トドメで、年老いた乙丸が、旅に出るまひろさんに何がナンでもついて行くと言い張る。それで視聴者は、乙丸の彫っていた仏像が乙丸の嫁だったと分かる仕掛け。で、視聴者が「ああ、じゃあ、いとさんは無事だったのね」と思ったところで、[認知症を発症した]いとさんを登場させて、ハッとさせる演出。意地悪だよねえ。

いずれにせよ、[道長の死や、乙丸の嫁の死や、いとさんの認知症発覚]の「現場」に視聴者を「立ち会わせない」ことで、人の世の無常感みたいなものがうまく出ていた。ような気がする。

*自分の書いた作品が「枕草子」や「源氏物語」ほどには評価されないのではないかと心配している[白髪頭になった赤染衛門]を、倫子さんが「大丈夫よ」と励ましている場面も好かった。

*最後の最後が[不自然な静止画面]で終わったのは、動画配信全盛期のこの時代ならではの演出。あの[いかにも中途半端なところで止まっている映像]を、令和に生きる我々は日常的に目にしている。その「見た目」から受ける一番の印象は、「動画は途中で止まっている」=「再生ボタンを押せば、すぐに続きが始まる」=「物語は、まだ終わってない」。「不自然な4秒間の静止映像」で終ることで、『光る君へ』は、「本当はまだ続きがあるけど、今は、一旦、停止しているだけ」という印象を残して物語を閉じた。

(2024/12/22 穴藤)

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