『コロンボ』メモ:21-01(第41話)『死者のメッセージ』TRY AND CATCH ME
今回の犯人であるアビゲイル婆ちゃんが、最後に、もしも姪のヨット事故の捜査をコロンボが担当していたら、こんなことはしなくてよかったかもしれない的なことを言うとき、その意味は、姪のヨット事故をコロンボが捜査していたら、コロンボがそれを殺人事件だと見破って、殺人犯であるエドモンドをそのときに逮捕していたはずだから、アビゲイル婆ちゃんがあとで彼を殺す必要もなかった、ということだと、ずっと思っていたけど、ここ最近は違う気がしている(因みに『コロンボ』全45話は、もう10周以上してるので「ここ最近」という)。
勿論、アビゲイル婆ちゃんはそのつもりで言ったのだろうけど、物語の語り手(そしてコロンボの心の内)は、アビゲイル婆ちゃんは、長年、殺人ミステリー小説ばかり書いてきたせいで、一種の職業病で、「ただの事故」を「事故に見せかけた殺人」だと思いこんでしまい、とうとう、 無実のエドモンドを殺してしまった、と言っているように思えて仕方ないのだ。
つまり、もしもヨットの事故をコロンボが捜査していたら、エドモンドの無実が証明されて(事故に見せかけた殺人ではなく、本当にただの不幸な事故だったことがはっきりして)、アビゲイル婆ちゃんは、「エドモンドが姪を殺した」妄想など抱かずに済んだし、だから、エドモンド殺しもやらずに済んだのではないか、ということを、(アビゲイル婆ちゃんではなく)ドラマの製作者(とコロンボの心の内)は、言おうとしているのではないか?
確かに、アビゲイル婆ちゃんの姪とエドモンドの夫婦仲は実際冷え切っていたけれど(エドモンドの部屋には元妻の写真が一つもない)、だからと言って、エドモンドが、事故に見せかけて妻(婆ちゃんの姪)を殺すとは限らない(冷え切った夫婦が世界中で何億と生きている。夫婦仲が冷え切ったくらいで人は人を殺さない)。しかし、何十年となく殺人ミステリーを書いてきた人間にとっては、「冷え切った夫婦」+「莫大な遺産」+「不可解な事故」=「遺産目当ての事故に見せかけた殺人」に「決まっている」のだ。だからこそ、今回の犯人は大御所ミステリー作家なのだ。事故に見せかけた殺人を「正しく」見破るための大御所ミステリー作家ではなく、職業柄、「ギクシャクした人間関係」と「計画殺人」が短絡しがちな大御所ミステリー作家が、無実の人間(エドモンド)を殺人犯と思い込んで殺してしまうという構造。
もうちょっと言うと、エドモンドの部屋に元妻の写真が一枚もないことが分かる場面は、アビゲイル婆ちゃんのエドモンドに対する疑いが間違いではなかったことを示すものではなく、アビゲイル婆ちゃんがエドモンドを殺す動機を、コロンボが掴む場面。輒ち、「二人の仲が冷え切っていることを知っていたはずのアビゲイルは、エドモンドが彼女の姪を事故に見せかけて殺したと信じたにちがいない。だから、仇討ちのつもりで殺したのだ」と。
このエピソードは、「職業病」のせいで、怪しい事故死はなんでも殺人事件に思えてしまう老婆が引き起こした無益な人殺しエピソードだと考えると、一段と深いものになる。(2023年1月12日)
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*このepisodeの面白いところは、アビゲイル婆ちゃんがエドモンドを殺したことに気づいているのが、(いつもと違って)コロンボだけではないこと。婆ちゃんの周囲の人間、輒ち、秘書も弁護士も、金庫の中でエドモンドの死体が発見された瞬間に、「とうとうやったな」と確信している。しかし、どちらも、「金づる」であるミステリー作家を警察に売るような真似はしない。むしろ、金持ち老婆の弱みを握って、できるだけ搾り取ろうと考えている(特に、秘書のヴェロニカ)。
*スイッチを切って出かけたはずの〔金庫の警報装置〕が「on」になっていたのは、そりゃあ、勿論、第一発見者のヴェロニカが、警察に「他殺」の可能性があることを知らせるためにやったこと(本当はoffだったけど、onだったと嘘の証言をした)。あとで、アビゲイル婆ちゃんはコロンボに、「スイッチを入れ忘れているのを出先で思い出したから、電話でメイドに指示してスイッチを入れてもらった」と、口から出任せの説明をしていたが(あとで、車の鍵を見つけたというときも、調べればすぐにバレるような嘘の説明をしているので、書く時以外は、こんな感じでけっこう迂闊)、金庫の警報装置を「on」にしても、アビゲイル婆ちゃんの得になることは何もない。ヴェロニカにはある。警察が他殺の可能性を考えれば、犯人であるアビゲイル婆ちゃんに「揺さぶり」をかけることができる。エドモンドの車の鍵を、ヴェロニカが「回収」したのも、アビゲイル婆ちゃんとの「交渉」に有利になるからだ。輒ち、「警察は疑っているけど、私は味方だから黙っててあげる。だから…」といういつものアレ。
*あと、エドモンドの部屋に「夫婦の写真」が一枚も飾られてないことをコロンボが指摘したときに、アビゲイル婆ちゃんの顔にカメラが寄る謎の演出がある。まあ、普通に考えたら(上でも書いたように)アビゲイル婆ちゃんがエドモンドを殺す動機がこれでバレた、という意味の演出なのだが、ヴェロニカをもっと「活躍」させるつもりで考えると、次のような、込み入った解釈もできる。アビゲイル婆ちゃんから見て、エドモンドは死んだ妻(婆ちゃんの姪)を愛しているふりをしているだけ。自分(アビゲイル婆ちゃん)の機嫌をとって、莫大な遺産を手に入れたいからだ。だから、会えば必ず、「僕も彼女を愛してました」系のことを口走る。しかし、それは全部芝居で、本当は、妻(婆ちゃんの姪)のことは少しも愛してはいなかった。だから、ヨット事故に見せかけて殺した。しかし、そうなると、エドモンドの自宅に、妻(婆ちゃんの姪)の写真がただの一枚もないのは、かえって不自然。なぜなら、自分(エドモンド)が死んだ妻(婆ちゃんの姪)を愛していることを婆ちゃんに見せつけて、婆ちゃんのご機嫌を取りたいなら、むしろ「写真」はふんだんに飾っていたほうがいいからだ。それがただの一枚もないというのは、一体これはどういうこと?
可能性①:本当に心から妻(婆ちゃんの姪)のことを愛していたので、写真が残っているとかえって辛くなるから、エドモンド自身が、目につかないところにしまったか、処分した。
可能性②:写真はふんだんに飾ってあったのだが、何者かが、コロンボたちより先にやってきて、全て回収した。何のために? 〔アビゲイル婆ちゃんがエドモンドを殺す動機〕を、警察に伝えるために。輒ち、「〔夫婦仲は冷え切っていた→ヨット事故は本当は殺人事件?→アビゲイル婆ちゃんが姪の敵討ちでエドモンドを殺した?〕推論」を導くため。そしてこの場合の「何者か」はヴェロニカ。ヴェロニカは、アビゲイル婆ちゃんを窮地に追い込んで、アビゲイル婆ちゃんに対する自分の立場を強くしようとした。
アビゲイル婆ちゃんにとって、可能性②は厄介だが、対処できる問題だし、割り切って対応すればどうということはない。アビゲイル婆ちゃんにとっての「悪夢」は可能性①の方。もし、エドモンドが妻(婆ちゃんの姪)をそこまで愛していたのなら、自分(アビゲイル婆ちゃん)はとんだ思い込みで、エドモンドを殺してしまったことになるからだ。
*大団円で、犯人の目の前で、コロンボが電球のソケットの中から証拠を見つけ出すのは、犯人がいないところでアレを見つけても、犯人にとっては、「決定的」にならないから。刑事が決定的な証拠を見つけ出す現場を、犯人が目の当たりにする必要があるのだ(例によって、コロンボは事前に箱の積み替え検証をやって、ソケットの中のdying messageも先に見つけ出していた可能性はある。そのうえで、改めて犯人の眼の前で箱の積み替え検証をやり、犯人の眼の前で電球のソケットからdying messageを取り出してみせたのかもしれない)。犯人がベテランの超売れっ子ミステリー作家だという点が重要。文字通り・読んだ通りに、自分が誰に殺されたかを記した「dying message」が、自分の本(原稿)の題名から作られているという展開は、ミステリー作家である犯人にとって、この上もなく「納得」の結末(よくできている結末)。だから、客観的には「こんなものは警察の捏造だ(こっそり仕込んでおいたんだ)」と言い張れば言い張れるような「弱め」の証拠でも、超売れっ子ミステリー作家である犯人にとっては、これで「負け」を認めざるを得ない。こんな見事な証拠にケチをつけるような犯人は、超売れっ子の一流ミステリー作家の作品には登場しないからだ。そういう展開(結末)。(2024/09/18)