『仮面ライダー BLACK SUN』:メモ(1):取り敢えず第一話を観た

『ドライブ・マイ・カー』の流れでなんとなく「第一話だけのつもりで」観てしまった『仮面ライダーBLACK SUN』だが、なんだか、もしかしたら、続けて観てしまうかもしれない

まず、「ショッカー問題」への対処が好かった。つまり、所謂「悪の組織」を、この21世紀の世界でどうやって成立させるかという「難問」に、一つの回答を示せているような気がした。嘗ての「ショッカー」のように世界征服を喧伝し、華々しく活動すれば、そりゃ、警察組織や、自衛隊や、国連が動いて、最後には米軍が核を持ち出すに決まっているので、日本政府(ゴルゴム党)が実はこっそり「ショッカー(的な集団)」でした、としたところは巧いと感じた。つまり、嘗てのナチスと同じように、「ショッカー」もちゃんと選挙で勝って政権を取ってました、と。まあ、世界征服の王道でしょう。因みに、現実の日本も「世界征服を企んだ」国。まだ大日本帝国と名乗っていたときのことだけど。有名なポツダム宣言にそう書いてあるから間違いない。リアルショッカーとはそもそも日本なのだ。

で、もう一つ巧いと思ったのは、怪人を「一般化」したこと。差別を受けてはいるが、社会の成員として既に世界中で暮らしているという設定にしたこと。これは一見すると、今どきの「差別のない世界」的モチーフを取り込んだだけのようだが、そうではない(それだけではない)。このお陰で、「ショッカー」の「悪巧み」の実戦部隊である「怪人」が人目につくところで「活躍」しても、社会にとって、ことさらに異様な光景にはならないのだ。つまり、怪人が暴れて死人が出たりしても、たまにある「ただ」の通り魔殺人事件レベルの「フツウさ」になる。怪人がありふれているので、「怪人などという人外の者じんがいのものが現れたということは、その背後に人間とは隔絶した悪の組織的なものが存在するのではないか?」ということにはならない。差別を受けながらも、怪人たちが「フツウ」に暮らしている社会では、「日本政府=ショッカー」は、割合気楽に怪人を使うことができる。ライダーと怪人の戦いが目撃されても、せいぜいが、過激派や反社会的勢力の方々が暴れている程度のものとして受け取られる。

「仮面ライダー」が、「悪の組織側」の怪人と戦う理由も、成り行きでそうなった感があってよかった(しかも、第一話でライダーに倒されたのがちゃんと「蜘蛛男」)。本郷猛のように、一個人が、世界征服を目論む世界組織を相手に、人間の自由のために(裁判とかではなく)肉弾戦をやるというのは、いくらなんでも無理がありすぎる(と、子どもでも思った)。

ほどよい「着ぐるみ感」も好い。

反怪人運動グループの頭目の今野こんののいや〜な感じも好い。

家福かふくさんが仮面ライダーに変身したようにしか見えなかったのは勿論、『ドライブ・マイ・カー』を観たばっかりだから。

肯定的なことばかり書いたけど、まだ、第一話しか観てないからアテにはならない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?