『ニュー試』ケンブリッジ大学/第一問:メモ

録画して放置してあった『ニュー試』のケンブリッジ大学編(前編)を観はじめて、いきなり最初の問題でひっかかり、(『千鳥の相席食堂』風に)「ちょっと待てぇ!」と、映像を止めた。

「ジョーンズとボーンズとウィルソンの3人のうち、ウソをついてるのは何人?」という問題の正解を、番組は「B:1人」と言っていたけど、「本当の正解」は(どうしてもと言うのなら)「C:2人」だろ? つまり、散々悩んだ挙げ句「C:2人」と答えた真ん中のお姉さん(上田さん)が「正解」で(お姉さんが2択で悩んだ理由もわかるし、2択の内容も分かる)、場合分けの表を描いて自信満々に「B:1人」と答えた松丸君は「間違ってる」。番組も「間違ってる」し、言ってしまえば、そもそものケンブリッジの出題者も色んな意味で「間違ってる」。まあ、せいやの「D:3人」は論外だけど。

「正解」が割れる原因は〔ウィルソンの「扱い」〕と、〔「ウソ」の定義〕なんだけど、今、ものすごく腹が減って、手が震えてるので、その話はまたあとで。

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食べた。手の震えも止まった。

まず、簡単だから、ジョーンズとボーンズを最初に片付けておく。

この手の「正直族とウソつき族」系のパズルで、二人の人間が互いのことを「あいつはウソつきだ」と言っているとき、ウソつきはどちらか一方でしかない(どちらか一方は必ず正直者)。理由は簡単で、ウソつきはウソつきのことをウソつき呼ばわりできないから。早口言葉みたいになって分かり難いから言い直すと、ウソつきは、ウソつきのことを「あいつは正直者ですよ」と言って、ウソをつかなければならないから。だから、ジョーズとボーンズの二人に限って言えば、ウソつきは1人だけ。この時点で、本当のことを言っている者が1人いるので、せいやの「D:3人(全員がウソをついている)」は早々に脱落。

で、問いは、「3人のうちでウソをついているのは何人?」だから、飯前に書いた通り、本当の「難問」は「ウィルソンが果たしてどちらなのか?」ということになる。ウィルソンはウソをついているのか、いないのか?

松丸君がほんの数十秒で「正解」に辿り着き、上田さんが散々悩んで「不正解」を選んでしまったのは、松丸君が暢気な「パズルゲーム脳」で、「何も考えずに」或る種の「解法」に条件をはめ込んで答えを出したのに対して、上田さんは、「ウソをつく」ということを厳密に考えた結果、このパズルの「不完全さ」と「曖昧さ」、というか、要するに「出来の悪さ」にハマってしまい(そして多分気づいてしまい)、「お手上げ」状態になってしまったからだろう(古舘に無理強いされて「C:2人」と答えたけど、もう一つの候補は「E:情報が足りない」だったはず。でも、この手のパズルで「情報が足りない」なんて答えは、特にテレビ番組に取り上げられているのだから、有り得ないと判断し、「C:2人」を選んだのだろう)。

松丸君は、〔ウィルソンの「最大2人」という主張は「ウソをついているのが0人か1人か2人かのどれかだ」という意味なので、そこには「正解」の「1人」も含まれている。だから、ウィルソンはウソをついていない〕と考えた。が、それは、先にも書いた通り、松丸君が暢気な「パズルゲーム脳」だから言えることで、実際は(現実の世界は)、それほど単純ではない。

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そもそも「ウソをつく」とはどういうことかを考え出すと、この問題の「出来損ない」ぶりに気づく。

現代日本人の実感に即して言えば、「ウソをつく」とは「正しい情報を持っていながら、意図的に、それに反する(それとは異なる)情報を伝えること」だ。だから、何か間違ったこと(事実に反すること)を言ったからといって、それが自動的に「ウソをつく」ことにはならない。誤解や無知が原因で、自分では正しいと判断したが本当は正しくなかった情報を伝えてしまう場合もあるからだ。「ウソをついたんじゃないわ! 知らなかったのよ!」というヒロインの叫びが、「ウソをつく」とはどういうことかを端的に表している。

繰り返すと、「ウソをつく」には、「正しい情報・本当のこと」を知っている必要がある。正しい情報を全く持っていない状態で、当てずっぽうで適当な事を言った結果、それが事実に反していたからと言って、それで「ウソをついた」ことにはならない。適当なことを言って間違えただけだ。これを反対側から言えば、〔当てずっぽうで適当なことを言ったら、結果として、事実に合致していたので、これをして「本当のことを言った」とも言えない〕ということになる。この場合、推測や当てずっぽうが結果的に正解だっただけで、当人には「本当のことを言った」意識もつもりもない。

で、ウィルソン。彼の言う「3人のうち最大2人はウソ」は、彼自身にとって「本当のこと」なのか? 「意図的なウソ」なのか? 「当てずっぽう」なのか? それとも他の何かなのか?

【解釈1】ウィルソンは他の二人に関する情報を持っている

番組の「解説」では、ウィルソンの発言は、他の二人の主張対立に関連付けて、その真偽が確定されるべきものとして扱われている。曰く〔対立する二人の主張から、ジョーンズとボーンズのどちらか一方はウソをついている事がわかる。ウィルソンの言う「最大2人がウソ」は、ウソをついているのが1人か2人ということなので、もし、ウィルソンがウソをついているのなら、3人全員がウソつきになってしまうだから、ウィルソンは本当のことを言っている〕云々。これを読む限り、ウィルソンは他の二人に関する情報を持っていると考えていい。

序だから言うと、番組のこの「解説」もかなり怪しい(上で太字にした部分)。「最大2人がウソ」は「ウソつきは、0人か1人か2人のどれかだ」という意味なので、番組(とケンブリッジ大学)は、ここから、〔だから、「最大2人がウソ」がウソなら、ウソつきが0人か1人か2人である」という可能性がなくなる〕と勝手に決め込んでいる。しかし、「最大2人がウソ」という主張がウソであることが、「最大3人がウソ」という主張を無効にするわけではない。そして、「最大3人がウソ」は「ウソつきは、0人か1人か2人か3人のどれか」という意味であり、「ウソつきは必ず3人」という意味ではない。現実のウソつきが1人でも2人でも、本当のことを言っていることになる。そして、「最大3人がウソ」という証言それ自体も、どう転んでも本当のことだ。それは、要するに「わからない/知らない/俺に訊くな」と言ってるだけなのだが、ここで言う「わからない」は、「当選した候補が、私が投票した候補」である〔投票に行かない有権者〕が、事実上100%の確率で当選する候補に「投票」しているのと同じ理屈で、100%の確率で本当のことを言い当てる。

話が横道に逸れた。

ジョーンズはボーンズが予測した通りの言動をするし、ボーンズもジョーンズが予測した通りの言動をする。そして、両者は互いのことを、自分のように知り尽くしているし、知能レベルも同等。これが、この手の「ウソつきパズル」の登場人物の基本設定。そして、そのことは(番組の「解説」から判断して)ウィルソンにも当てはまる。要するに、このパズルの3人の容疑者は互いのことを知り尽くしていて、知能レベルも同じくらい。だからこそ、ジョーンズとボーンズは、互いに「あいつは必ずウソをつく」と言い切れるし、その判断が間違うこともない(というか、間違うようでは、この手のパズルは成立しない)。

すると、ウィルソンも、〔ジョーンズとボーンズのそれぞれが、相手について何と言うか〕を、聞かなくて分かる。ウィルソンは、ジョーンズとボーンズが、互いにウソつき呼ばわりするのが「初めから」分かっている。先にも言ったように、①二人の人間がお互いをウソつき呼ばわりする時、どちらか一方が正直でなければならない(ウソつきは、ウソつきのことをウソつきとは呼べないので)。ウィルソンは自分以外では、ウソをついているのが1人しかいないことを初めから知っていることになる。

あるいは、万一、ウィルソンが、〔ジョーンズとボーンズそれぞれの属性(正直かウソつきか)〕について知らなくても、互いがウソつき呼ばわりしているということを知らされた時点で、①から、一方が本当のことを言い、もう一方がウソをついていることが分かる。

いずれにせよ、ウィルソンが本当のことを言うとしたら、「3人のうちで、ウソをついているのは1人」と言う以外にない。自分以外の2人のうちで、ウソをついているのは1人で、自分は本当のことを言うのだから、そうなる。逆に言えば、「ウソつきは1人だけ」以外の発言は、ウィルソンにとって、全てウソということになる。なぜなら、ウィルソンは〔ウソつきは1人〕だと知っていながら、〔ウソつきは最大で2人になる可能性がある〕と言うわけだから(そんな可能性はないのに)。パズルゲームではない、日常生活の感覚から言えば、それは明白なウソである。

例えば、〔あなたの目の前で戦死した戦友〕の母親にばったり出会う。〔息子が戦死したこと〕を知らない母親は、「息子は帰ってくるでしょうか?」と、あなたに訊く。この時、戦友の母親をがっかりさせたくないと思ったあなたが「帰ってくるかもしれないし、来ないかもしれません」と答えれば、あなたはウソをついたことになる。輒ち「戦友の生死については知らない」というウソだ。年老いて自分自身が死ぬ時、あなたは高い確率で、「あの時、俺は、あの母親にウソをついた」と思うだろう。

つまり、ウィルソンが、ジョーンズとボーンズの「正体」を知っているか、二人の発言内容を知っている場合、「3人のうち最大2人はウソ」と証言する彼は、ウソをついていることになる。だから、「ウソをついているのは何人?」の答えは「2人」だ。

ところが!である。

この場合のウィルソンのウソ、輒ち「最大2人がウソをついている」は、結果的にはウソになってない! なぜなら、ジョーンズかボーンズのどちらか1人と、ウィルソン自身の合わせて2人がウソをついているからだ。ウィルソンが、「最大2人がウソをついている」というウソをつくと、ウィルソンのウソは本当になってしまう(〔ウィルソンは、ウソをつくことで本当のことを言う〕というちょっとした「自己言及のパラドックス」が生じる)。上田さんが答えに窮したのはコレが原因(な気がする)。古舘にセカされ、しょうがなく「C:2人」を選んだのは、「最大」という表現がウソだと言えば言えなくもないからだ。そして、この隘路が、出来の悪いこのパズルの、苦し紛れな「脱出口」になる。なぜなら、「最大」をつけることで、「0人の可能性もあるし、1人の可能性もある」というウソ(そんな可能性はないことをウィルソンは「知っている」)をついているから。

【解釈2】ウィルソンは他の二人に関して何も知らない

番組の「解説」の一件は忘れて、ジョーンズとボーンズはお互いのことをよく知っているようだが、〔ウィルソンはこの二人について、何一つ知らないし、知らされていない。彼が知っているのは容疑者の人数が自分を含めて3人ということだけ〕という場合を考えてみる。

この場合のウィルソンの「3人のうち最大2人はウソ」の証言の「正体」は、「他の二人のことは知らないが、俺だけはウソはついてない」という、ただそれだけのことだ。要するに、この「ウソつきパズル」とは「無関係」な存在。南極でコウテイペンギン相手に、ひとりつぶやいているのと変わらない。しかし、そうなると、ウィルソンがウソをついているかどうかは、そもそも全く推測できなくなってしまう。要は登場人物がたった一人現れて「俺はウソをつかない」と言ってるだけだから、「ああ、そうなんですね」と答えるしかない。

この場合、「俺だけはウソをつかない」というかわりに「ウソつきは最大で2人まで」と言ったら、「結果」として、それがジョーンズとボーンズのやり取りに「ハマって」、ウィルソンが〔さも本当のことを言ったかのように〕見えただけのこと。

先に述べたように、当てずっぽうやデタラメが結果的に事実と矛盾しなかったことを指して、「本当のことを言った」「ウソをついてない」とは言えない。この場合だと、〔ジョーンズとボーンズのどちらか一方だけがウソつきであるという論理的帰結(ウソつきの人数)〕が〔ウィルソンの発言〕に含まれるからと言って、ウィルソンがウソをついてないことにはならない。

繰り返すが、この場合のウィルソンの発言の「正体」は「私だけはウソを言わない」であり、ウソつきの人数の正しさを主張するものではない。「私はウソを言わない」という主張が、ウソなのか本当なのかは、ウィルソンの発言単独からでは全く判断できない。だから、答えの候補として「E:情報が足りない」が浮上してくることになる。

【解釈3】黙秘

これは「解釈1」の変奏。輒ち、ウィルソンの発言内容は、「或る種の黙秘」だと解釈する事もできる。他の二人に関する情報を持っているウィルソンが、自分の発言の真偽に関しては「黙秘」しているのである。

ウィルソンの発言の「3人のうち最大2人がウソ」の「2人」のうちの1人がウィルソン自身になることは、当人にも取調官にも自明のことだという前提のもとで、だからこそ「最大」という文言を付け加えたのだ。この場合での「3人のうち最大2人がウソ」という主張は、「自分(ウィルソン)はウソをついているかもしれないし、ついていないかもしれない。教えない」という意味になる。

この、「或る種の黙秘」解釈が、「厳密に本当のことも言ってないし、さりとて、丸出しのウソをついているわけでもない」というウィルソンの証言の本質を言い当てているような気もする。表面的には本当のことを言っているようだが、内面を覗き込むとウソをついているように思えるのは、それが「黙秘」だから。或る質問に対して「答えないこと」は、或る場合には「肯定」となり、或る場合には「否定」となり、或る場合は「欺き」となる。

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まあ、要するに、我々のような細かいこと(言葉のニュアンスなど)が気になるタイプにとって、このパズルは破綻していて、だから、上田のお姉さんも途方に暮れた(のだろう)。

最初に戻ると、「ウソをつく」を、「〔意図はともかく、結果として事実に反していたこと〕を言う」と捉えると、松丸君のように数十秒で「正解」にたどりつけるけど、「事実に反することを言おうとする意図」と捉えると、真ん中に座っていた上田さんのように、答えに窮して時間切れになる。

だから、例えば、「問い」の文を、「3人の容疑者のうちウソをついているのは何人?」から「3人の容疑者の各主張のうちで、事実と異なる内容の主張はいくつある?」とかに変更すれば、ウィルソンの「意図(ウソをつく意図の有無)」は全く考えなくてよくなるので、今まで書いてきたごちゃごちゃも全部要らなくなる。

もしかしたら、〔問い〕とか〔容疑者の発言〕とかの本来のニュアンスが、日本語訳のせいで変わっているのかもしれない。原文(英文)で読んだら、この辺のモヤモヤはスッキリするのかもしれない。

2024年1月22日 穴藤

追記:こんなことを長々と書いていたせいで、まだ第一問しか観れてない。

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