書くことで救われてきたハナシ
Webライターになって今年で5年になるけれど、思い返せばいつも「書く」ことに救われてきたなぁ、と。
私の人生は「書く」ことがなかったら、とっくにどこかの時点で終わっていたのではと思うことがある。
今日はそんな思い出を思い出してみようと思う。
いじめられて辛かったとき
しょっぱなから重たい話……!
いや、でも事実だから書いておこう。
幼稚園から小学生4年生まである女の子に下僕のようにされていた。笑
でも誰にもいえなくて、日記帳に思いを書き綴った。
小学1年から6年生まで日記を書き続けた。
今思うと「すごっ」ってなるけど、日記帳しか気持ちを吐き出せなかった。
ちなみにいじめられても学校休まなかった。
当時の私、頑張ってたなぁ……!
母が急変したとき
ニートの夏(2015?くらい?)、一緒にウォーキングしていた母が「なんか息がきれるわぁ。歳かな?」」と言い始めて、検査入院のため入院した翌日に急変した。
病院に呼び出されて、「1週間が山です」と告げられ、
お葬式場を探すよう言われた。
パニクった!
なんせ母は書道の先生で書道教室をやっていたし、お弟子さんもいた。
誰にどう連絡すればいいのか、ほんとにわからなかった。
そんなときも「書く」が私を救ってくれた。
コピー用紙にマインドマップを書いて、考えるべきことや連絡すべき人を書いた。
書いたら急に視界が広くなって、やるべきことも見えた。
母はというと、あれから5.6回心臓止まったけど生きてる……!^^
あまりの生命力に病院側から研究発表用にデータを求められたほど。笑
産後の夢を見つけるとき
長女を出産したとき、里帰りができず行き場がなかった。
母は病気のせいか、性格変わっちゃってて「赤ちゃんうるさいから」という理由で里帰りを拒否られた。
当時は姉も実家にいて、姉からも追い討ちをかけるように「赤ちゃんうるさいから」という理由で拒否られた。
旦那さんちもダメで、途方にくれた。
結果的になんの義理もない、おば夫婦が私と赤ちゃんを迎えてくれた。
おば夫婦の家で暮らした2か月間は、とにかく迷惑かけないよう、一生懸命に生きた。
夜中は私がつけた灯りでおば夫婦が起きないように、日記はトイレの中で書いた。
おば夫婦に迷惑かけてはいけないという思いから、長女が朝まで泣き続けても1人で必死に戦っていた。
そんな毎日で唯一の心の救いとなったのが、日記を書く時間だった。
無意識にも子どもが少し大きくなったらやりたいことをつらつら書いていた。
そのやりたいことの中に「Webライター」があった。
「書く」ということによって、私は見事自分の夢に辿り着き、今こうしている。
わたしと「書くこと」はもう一生切り離せない
誰にやれといわれたわけでもないが、もう6年ほど毎日手帳や日記を書いている。
ペンが紙に染みていく感じ、ペンと紙が織りなすあの「音」がたまらなく好きだ。
書いているうちに、モヤモヤしていたことも悲しかったことも自然と消化していく。
本当に色々なことを書いているので、「自分が死ぬ前に絶対に全て燃やさなきゃ」と毎日思うのであった。
余談ですが…
文房具好きのため、あらゆる筆記具にハマってきた私だけど、今1番気に入っているのは「サラサ3C」。
あのサラサを3色まとめてスリム化したボールペン……!
ぁあ……文房具バンザイ。
自分の気持ちを可視化したいときは、ぜひ「書く」ことをおすすめしたい。
気持ちもすっきりするし、何より自分の「今日を生きた証」が残せる。
写真はそのときの風景を切り取り、文字はそのときの感情を残せる。
あのとき自分が感じていたことは、宝物。
思い出そうとしても、鮮明に思い出すことは難しくて。
だからこそ、書いて、残して、未来の私に届けたい。
そんな思いで、今日も書いている。