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ガザの平和を願う

クリスマスにガザの平和を願う
――ロバに乗ったメシアによる戦争放棄と平和の宣言――


日本キリスト教団の小林先生の平和宣言をここに覚書として、書いておきます。


9大いに喜べ、娘シオンよ、
歓声を上げよ、娘エルサレムよ。
見よ、あなたの王があなたのもとに来る。
彼は義とされ、救われた者である。
貧しく、ロバに乗る者、
雌ロバの子である雄ロバに。
10わたしはエフライムから戦車を、
エルサレムから軍馬を断つ。
戦の弓は断たれ、
彼は諸民族に平和を語る。
彼の支配は海から海にまで、
大河から地の果てにまで及ぶ。
(ゼカリヤ書9章9−10節[私訳])



 ヘブライ語聖書(旧約聖書)にはシオニズムを正当化する言葉があり、そのことからユダヤ教の総体が現在のイスラエルを全肯定していると勘違いしてしまう向きがあります。しかし、歴代のラビたちはユダヤ人のディアスポラ(離散状態)ないしガルート(追放状態)を自分たちの罪を償うための宗教的義務と解釈し、その系譜に連なる現代のユダヤ教超正統派(ネトゥレイ・カルタ)はシオニズムに断固反対の立場を表明しています。ユダヤ教徒が一様に現在のイスラエルを支持しているわけではないのです。それと同様にヘブライ語聖書が一様にメシアの武力による世界統治を肯定しているわけではありません。
 その典型が冒頭に引用したゼカリヤ書9章9−10節のメシア預言です。ここに登場するメシアは能動的に「救う者」(救済者)として世界に君臨しているのではなく、受動的に「救われた者」(新共同訳「勝利を与えられた者」、協会共同訳「勝利を得る者」)であり、貧しく、ロバに乗るメシアなのです。このメシアは全イスラエルから戦車と軍馬を、そして全世界から弓(武力)を断つことによって、世界中の人々に平和を語るのです。イエスのエルサレム入場がロバに乗った姿で描かれているのはユダヤ教の平和のメシア像を体現するものであり、古代ユダヤのラビ文書にはロバに乗った平和のメシアが繰り返し登場するのです。
 1948年のイスラエル建国によって事態が一変してしまったとはいえ、パレスティナ人は長い間、土着の民としてパレスティナの地に暮らし、そこでユダヤ人を隣人と遇して暮らしてきたのです。そして、イスラエルにはパレスティナ人の土地を奪うことを忌避し、共生を願う人たちがいるのです。イスラエルのメシアはロバに乗った平和のメシアであり、イスラエルによるパレスティナの武力統治や戦争がユダヤ教信仰に反していると信じているのです。
 翻って、キリスト教を省みると、その姿は平和の反対に身を置き続けてきたようにすら感じられます。ロバに乗った平和のメシアの系譜を継ぐイエスの誕生を祝うクリスマスに、キリスト教こそが武力ないし戦争を放棄し、世界に平和を語る責務があるとは言えないでしょうか。クリスマスにガザの平和を願います。(小林昭博/酪農学園大学教授・宗教主任)

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