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独身でも結婚でもなく②「もっと大きな家族」に向けて
「今、そばにいる人が私の家族です」
この一文がとても心に響いて、心の中に記憶しておきたくなった。
今そばにいる人が、私の家族でありますように、と祈るような気持ちにもなった。
以前ここにも書いたけれど、韓国人女性2人による、「女ふたり、暮らしています」という本を読んでいた。その中で最も心に残った言葉がこれだった。
血のつながりとか、法的なこととか、そういう伝統的な意味での「家族」に縛られるよりも、自分が心から「家族」と思える人と生きていけたら本当に幸せ。
私は昔から家族との関係で悩むことがあって、「そもそも家族って何?」と疑問に思ったのが学生の頃だった。あの頃の私に、もっと緩やかに考えても大丈夫なんだよ、と教えてあげたい。
血がつながっていても、一つ屋根の下で暮らしていても、うまく家族になれたいときって、ある。
そしてこの本で出会ったもう一つの言葉。
「家族ともっと大きな家族」
私たちが本当に苦しいとき心の拠り所となってくれるのは、「もっと大きな家族」かもしれない。友達だったり、ご近所とかどこかのコミュニティの人だったり、もしかしたらここNoteにもそんなご縁を結べる出会いがあるかもしれない。
白か黒か、何が良くて何が悪いのか、家族か家族じゃないのか。
二つに一つ、ではなくて、「もっと大きな家族」という考え方があって、それは従来の形とは違うかもしれないけど、かけがえのない存在かもしれない。
決めつけのない世界の方が、ラクに生きていける人も一定数、この世界には存在する。
その一方で、結婚して、家庭をもって、正社員で働いて・・・という昔ながらの生き方を上手にこなしていく人もいる。
そういう色々を認めていくことも、一つの「多様性」ということになるかもしれない。
私は、「もっと大きな家族」というコンセプトに何か温かいものを感じる。
そして私は今日も願っている。
今そばにいる人が、私の家族でありますように。
お隣の韓国に、今も女性2人でたくましく生きてる方たちがいる。
この本を書いたとき、彼女たちは40代前半だったと思うけれど、それから数年経って、40代後半になった彼女たちを見てみたいと思う。
きっと素敵なアラフィフになって、やがて50代を迎える。
「もっと大きな家族」っていいな〜と思う日曜日、私は私のパートナーと良い時間を過ごしたい。