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忘れないでいよう。私たちは、人を愛するために生きているのだ。


皆さん、お久しぶりです。
わたしはついに大学を卒業できました。わーい!
多くの人に支えられて今があります。ありがとうございます。

6年間も函館にいました。長い、テキトーに選んだ大学なのに、こんなことになるとは。高校の先生もびっくりです。笑
わらじ荘も3年目に突入し、ついに4月からわたしも函館を離れることとなりました。

今日は集大成のような言葉を連ねたいと思い執筆しています。
テーマはズバリ「わたしたちはなんのために生きているのか」です。前回のnoteの続編です。生きる意味がわからなくなったわたしが見つけた(今のところの)答えが書いてあります。長くなりますが、お付き合いください。

自分に戻るリハビリ

江別で撮ったコインランドリー

わらじ荘を5月に出た私は、目の前のやらなきゃいけないことがなくなって、しばらくの間、なんのために生きているのか分からなくなりました。でも、逆にまっさらになって、なんでもしていいってことじゃないか!と考え直したのです。「せっかくなんで心躍ることをしよう」と考えられるようになりました。

リハビリのような日々を過ごしたのちに、心の中に湧き出た思い、それは、「何かを作りたい」というメラメラした気持ちの塊でした。


でも何かがわからなくてモヤモヤして仕方がなかったので、身体をまずは動かそうと思い、なんでも作れる場所を探しはじめました。

あー、表現したかったんだね

そんな時、いつもお世話になっている鍋谷さんから、大沼にあるアップルハウスという場所が取り壊されるという情報をいただきました。廃墟になっていたその場所は、何をしてもいい素敵な場所でした。わたしは、そので、グループ展を行いました。わたしの大好きな仲間を誘って。

なんでも作れる環境の中でわたしはどんなものを作りたいのか?そこに、わたし自身がしたいことへの、ヒントがあると思っていました。とにかく描きまくっていたこの頃、一人で終わることはつまらないと思ってしまったんです。私の中で、こだわりが湧いてきました。

それは、「人が関わる作品にしたい」ということでした。
誰かが、みて終わりなんじゃなくて、わたしとあなたは別ですよと終わるのではなくて、関わって初めて出来る作品をつくりたい!と思ったんです。

そしてできたのが、これ👇👇

タイトル 「胎」

まぁ、ここら辺のことについてはまた別で書こうと思います笑


そのグループ展が終わった時、本当に自分には表現したいことがあるんだ!と、作ることにわくわくが隠しきれない自分に出会ってしまいました。やりたいことなんて、別になくて、みんなのやりたいことを応援するよって言ってた自分ですが、ものをつくって初めてもっと自分のやりたいことあるんだから、やれよって自分が自分を応援してくれたんです。

わらじ荘をやめるか、続けるか


ちょうどその時、わらじ荘存続の危機に直面していました。わたしがわらじ荘を辞めたくなったのです。
わらじ荘は、私にとって大きな成長を見せてくれた場所でしたが、自分の役割的には管理職とか代表とかになってしまうことが楽しくありませんでした。私が産んだのですから、仕方ない。。。

わらじ荘に暮らしたい人がちょうどみんな卒業する、今なら辞めてもいいんじゃないか?新しい道を歩んでも良いんじゃないか?という言葉と、ここでやめていいのか?逃げてるんじゃないのか?という自分の葛藤が心に渦をつくりました。

五稜郭にある公園の雪だるまが分裂してしまった写真

正直、ものづくりや表現がしたいんだ!と気づいた自分からすると、もう函館にはいられませんでした。もっと専門機関で学びたい!そういう人と接したい!函館にいてはならない!と思ったのです。わらじ荘をやる=函館にいなければならないという制約が、自由になりたい自分には、憎いものでもありました。函館にいると感覚が鈍る自分がいたので、半月の道東旅に車で向かうことになりました。

わらじ荘を続けるか、やめるか。

その選択をするために車を走らせました。車の中で自分とたくさん対話しました。そのうち、私の頭の中には、わらじ荘って2年間やったけど意味なかったのかな?誰の何にもなってないのかな?私の2年間って無駄だったのかな?と、ネガティブな自分がどんどん出てきて。しかも、道東でかっこいい素敵な大人の方々と出会ってしまうという...なおのこと羨ましく思えて、今の現状が嫌になってしまいました。よし、キッパリやめてやろうと決意した日もありました。

どこかの道(道東)


そんな私に一筋の希望が。
それは、来年からわらじ荘に暮らしたいという声を聞いたときです。なんとか、なんとかこの子が暮らしてもらえるようにと思って、函館にもどりました。ちょうど2周年を迎えるわらじ荘の合宿に思い切って、今の状況とわらじ荘の価値やわらじ荘に暮らしてみてどう思っているかを話す場を設けました。そして、OBの荘民も呼んで荘をでて今どう思っているかを対話する合宿となりました。2周年なんかしなきゃでもめんどくさいと逃げていた時でした。笑

合宿の写真みあたらなくて、荘民の日の写真

わらじ荘は、もともと、モヤモヤしている大学生が地域で何か実践できる場所として、開設した場所でした。
(そのもとのもとを辿ると、ただみんなで暮らしたかったってゆうだけなんですけどね。)


でもやってみてあまり良い結果を産めていないかもしれないと、自分を責めた日もありました。そんな声が聴こえてきたから。作りたい場所とは?わらじ荘とは?そんな問いに答えられずにいたことも。価値がないんじゃないかと、正直、自分の全てを批判している自信のない自分がいました。

しかーし!その合宿で語られる言葉の中で

「ここに暮らして自分と向き合えました。」

「本当の友達でも家族でもない仲間と出会えました」

「この場所こそが、学校だ」

そんな声が聴こえてきたのです。

あぁ、耳に入ってきていた言葉だけが全てじゃない、本当に良いことこそ、埋もれてるんだと気付きました。


壁を貼ったよー!の写真

わらじ荘は、活動してたらそれっぽく見えたりカテゴライズされたり脚光を浴びる場所。だけど、それだけが私たちの人生じゃない。だって、活動以外の生きてる時間、ご飯を食べる時間や寝る時間や共と語る時間も含めて人生でしょう?
その、時間を共有していくうちに生まれる本当の仲間。友達以上家族未満の、仲間との日々。
それに気づき、愛することこそが人生だとわらじ荘は教えてくれました。
そんなわらじ荘がわたしは好きだったけど、そんな価値観って他のみんなには、グッと来るものではないのかな?と決めつけていたけど、しっかり荘民は、その荘の魅力をわかって、魅力として捉えてくれていました。

はじめて、わたしの2年間は、わらじ荘に費やした2年間は間違っていなかったんだと嬉しくなりました。本当に。私は嬉しかったんです。その時のわたしの心が震えた経験は一生ものでした。

それから考え直しました。わたしはその時まで、旅をしながらずっとわらじ荘をやってる自分が嫌いだったんだと思い込んでいたのですが、そうではなくて、函館にいる自分が嫌いだったんだなと気づいたのです。⚠︎あ!函館が嫌いなんじゃなくて!!函館で甘やかされるこの生ぬるい環境に、期待される環境に、成長できない物足りなさを感じていたのだと気づいたのです。

もっと成長したいけど、わらじ荘は大切な場所だから、やめたくないと思った自分は、どうにかこうにかわらじ荘を続けながらも、函館をでて表現を学びに行く決断をしました。

不安要素は一つ。わらじ荘を誰に任せるか?です。
でも前の自分とは違って、今は杏奈さんがいなくなってもいいからと、いってらっしゃいと背中を押してくれる信頼できる仲間たちがいるんです。そんなみんながいて、存在していることに、心の中が震えて止まらないのです。

だから、わたしは大丈夫と思って安心して、東京に行くことにしました。
わざわざ東京にいって、何をするのか?それは、演劇を学びに行くのです。なぜ、演劇か?まだ、わからないんです。いや、言葉にするのが難しくって。


わたしは6年間の函館生活の中で多くの人と出会ってきました。若者の夢を平気で潰す人、すごいねと煽てるだけの人、妬む人、勝手に噂をばら撒く人、お金で解決しようとする人。

いろんなことがありました。同い年の子たちが就職して、稼いでいるのを横目に見ているわたしからしたら、こんなことしてていいのかと何度も悩みました。

やめたろかと思ったことは、先日がはじめてではありません。めちゃくちゃあります。

わらじ荘が教えてくれること

だけど、わたしはそんな遠回りの人生にこそ、大切なものがいつも転がっていることをわらじ荘は教えてくれました。

わらじ荘は派手じゃない。小さな平凡な日常の、積み重ねなんです。だけど、その先には大切な仲間との、忘れ難い素敵な時間が必ずあるものです。摩擦や対立があったとしても、必ず最後は分かり合って愛が生まれるんです。それがどんな高価なものよりも素晴らしいんだって、知ってしまったんです。迷ったり傷ついたりする私たちの人生全てがまるっとあったかいことを学ばせてくれる場です。そんな素敵なものたちを、掬い上げて、魅せたい!と純粋に感じました。

じゃあ、その手段は何か?それは人間が表現する舞台じゃなかろうか。演劇じゃないかと。確証は持てませんが、多分、多分、大丈夫。あっている気がするんです。
あってなかったら、また違う道を選びます。


私たちに必要なのは

おはな

私は24年間生きていて、世の中の、「儲かるかどうか」「たくさんの人が来るかどうか」「学力があるかどうか」「能力があるかどうか」そんな基準に飽き飽きしていました。世の中の情報はいつだって、偽れる。無限に盛ることができます。そのリアルとは乖離したものに胡散臭さを感じて、そろそろ違和感が私の心を無茶苦茶にしてきました。やってることは面白いかもしれないが、でも、なんか違う!そんな感情がMAXに達した時、初めて、その境目がわかりました。それは、「心が動く経験かどうか」です。

私たちが欲しいのは、金でも、名誉でも、SNSのいいね!でもない。

ましてや、テキトーにそれっぽく撮った写真でも、それを載せて、いかにも、それっぽく作った報告書でもない!

学生さん、まちづくり頑張ってるね〜なんてなんも知らねえ奴らにカテゴライズされることでもない!!

私たちが本当に欲しているのは、自分の力で、仲間と共に、何かを達成したり、できなかったり、葛藤して、一生懸命になって、時に逃げて、そして失って、はじめて周りに感謝したり、人を愛することができたときに生まれる、心を動かす経験です。

時に、他者を傷つけたり、見下したりしてしまうこともあるけれど、それも全て人を愛するためにある。愛されるための感情であるのです。

それは、わらじ荘を通してたくさんの仲間と出会い、共に心を震わせ、愛し愛されあいながら、掴み取った自分なりの答えです。
誰のことも愛せなかった、ましてや自分のことすら愛せなかったわたしが、そんな感情を今持っているんです。

たくさんの苦労と感動を共に分けあった最高の時間が函館の至る所にあります。ありがとう函館!ありがとう!!わたしは今、なんでもできる勇気がある。それは何かをしているわたしではなく、わたし自身のことを愛してくれる人がたくさんこの街にいるからだ。そして、愛おしい人と、その思い出がわたしの心を支えてくれているからです。


周りの人が悲しみに押しつぶされ、忘れていようとも、
私たちだけは、忘れないでいよう。
世界がどんな情勢になったとしても、
わたしたちだけは、忘れないでいよう。

それでも、人生は美しいこと

私たちは、愛し、愛されるために生きているということ

を。

函館山からの初日の出


函館卒業制作「鍋を囲みながら」


そんな私の6年間の函館生活、締めくくるのは、そう、演劇です。場所はもちろんわらじ荘。わらじ荘での、日常から、心が動いてしまう同い年はたくさんいると思います。そんな日々のわらじ荘の実話をもとにした作品となっております。しかも、演劇見て、おわりー!じゃないです。その後に感想を共有するワークショップもしちゃうってゆう、もうわらじ荘スペシャルです。ワークショップをしないと、わらじ荘で、わたしがやる意味ないでしょ?

チラシです


練習が、すごいんです。ちょうど良いピリピリ感と本気度が、もうすごいことになってます。この役はどんな役なのか向き合うこと、それを通して自分自身と向き合う役者たちそして、その役者の舞台を成立させるために自分がどんなふうに振る舞うのかを必死に動き回る裏方。音響、照明、、、どんな人も本気でこの場にいる。1ヶ月半という少ない稽古にも関わらず多くの人の協力があって、あと2週間後の本番を迎えようとしています

みんなで、鍋を囲んでます。



わたしの変なお誘いに、いつも乗ってくださる皆様に感謝しかありません。

わたしの6年間の答え、それは、
愛おしい人たちと共に、わたしは心を動かすことが、好きだ!!!!ということ。

あなたは
本当に心から心を動かしたことはありますか?
本当に人と向き合ったことがありますか?
そして、自分自身と向き合ったことがありますか?

私はこれからも、他者と共に、つくりたいものを、つくる。

私は自分の人生を、自分 たち でつくる。

そして、最後にもう一度、

忘れないでいよう。
私たちは、人を愛するために生きている。

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下沢杏奈
いただいたものは、全て大切なひとに、そしてまちに、使わせていただきます。