3月とライ麦畑
サリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』は少年が多感さと自意識に苛まれながら外界に対峙する葛藤を描いた青春小説である。主人公の少年が自分の遍歴や過去の人間模様をあれこれと語ったすえに「思い出話なんてするもんじゃないよ。どんなに気に食わない相手だったとしても、そいつが今ここに居ないことがさびしくなっちゃうんだから」というふうなことを言って話を締めくくるのだが、そこが味わい深くて折にふれて思い出す。3月は今まで毎日顔を合わせていた人が異動などでいなくなるシーズンでもあり、さほど親密でなかった人でもこの人とはもう会えないんだなぁと思うだけで淋しい感じがする。と同時に、これが習慣の作用に過ぎず時間が経てばどうということもなくなると私は知っている。
せっかく『ライ麦畑でつかまえて』のことを思い出したのでもうちょい思い出してみる。あの話は、主人公が全寮制のハイスクール(たぶん)を放校処分になってからあちこち彷徨って考えごとをしたり知人と会ったりしたすえに実家に辿り着くまでの出来事を誰かに喋って聞かせているふうな体裁をとっているのだが、現状彼は入院していることがわかる。彼がなんの病気で入院しているのか、今後どんな生活を送るのか曖昧なまま物語は終わるのだがそれにより話の奥行きと余韻が増幅され私はこの本のことを毎年考えている。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?