『あひる』
いい歳をした大人のくせに「私なんて長所ないし…」みたいないじけたことをTwitterで言って、そんなことないですよ!という反応をもらい愉悦に浸るという気持ち悪い面が自分にあることを認めなければならない。こないだそういう発言をしたら「いいところありますよ!かわいい犬を飼ってるところ!」と言ってくれた人があって、でも犬がかわいいのは犬自身の長所であって私の長所ではないと思うので慰めてもらっておいてなんだがやや微妙な気持ちになった。そして、今村夏子が書いた『あひる』という短編を思い出した。だいたい次のような話だ。人との交流が皆無でさびしく暮らしている老夫婦が、庭であひるを飼い始めた。名前もちゃんとつけて可愛がって飼育していたところ、近所の子供たちがあひる目当てで遊びに来るようになった。老夫婦は子供たちと交流できるようになって嬉しい。ところが、あひるが体調を崩してぐったりとし小屋から出てこなくなった。子供たちは老夫婦ではなくあひる目当てで遊びに来ていたので、当然足が遠のく。老夫婦は以前のようにしーんとした家で過ごすようになる。でもある日、「あひるの◯◯ちゃん元気になったよ」とおばあちゃんが言う。でも、語り手(老夫婦と同居してる娘だったかな?)が見るとそれは明らかに前に飼っていたあひるではなく、別の個体だったのだ(模様や体格が明らかに違う)。あひるは語り手が把握する限り3回ほど別の個体にすげかえられるのだが、老夫婦は一貫して◯◯ちゃんという名前で呼びかける。語り手はなんとなく「それ、別のあひるだよね」と言い出せない。もしくはそれ違うあひるだよね…?と老夫婦に訊くのだが曖昧にはぐらかされる。この後も話は続くが、不穏さと凄味のあるおもしろい短編だった。今村夏子の書いた物語はみっつぐらい読んだことがあるけど、なんということもない人物や日常が徐々に異様なものに変容していくさまを描く筆致が圧倒的だ。もしくは、なんということもない人物や日常が内包していたおぞましさを徐々にあらわにしていく手際が鮮やかだ、というべきか。
犬がかわいいのは私の長所となんら関わりが無いと思うけど、今村夏子の『あひる』を思い出せてよかった。生活していて今まで読んだ本のことと出来事がリンクするとなんか嬉しい。
終わり
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