ア・カップ・オブ・ティー
中高時代の国語や英語の教科書をとっておく癖がある。というか、あった。自分のぶんだけでは飽き足らず6歳上の兄の教科書までため込んでいたが、置き場所が足りなくなって捨てざるを得なかった。本棚がぎゅうぎゅうになる度に断腸の思いで優先順位の低い本から処分しているが、本当は処分したい蔵書なんか一冊もないのだ(流行りに惑わされてくだらない本を掴んでしまうことがたまにあるが、そういう本は蔵書と呼べるようになる前にさっさと捨ててしまう)。本に限らないが、真の豊かさは物をたくさん持つことではなく場所の余白・余裕を常に確保しておくことだと思う。
兄の国語の教科書には吉行淳之介の『ピーナッツ』という短編が載っていた。自室で皿に盛ったピーナッツを食べようとしていたらふらりと友人がやってきて、お。ピーナッツじゃん。いただくぜ。かなんか言って座り込んですごい勢いで食べだすのだが、主人公は気圧されて負けじと皿に手をのばすことも僕のぶんも残しといてくれよなどと言葉をはさむこともできずにみるみる減っていくピーナッツを見守るしかできない、といった内容の話だ。ストーリーとしては男がピーナッツを人に食われるだけの話であり舞台も主人公の狭い部屋だけ、何が面白いのだと思う人もいるかもしれないがこういうのを面白く読ませられるのが純文学の醍醐味だと思う。ラストの一文が「ゴリゴリ、ゴリゴリ。友人がピーナッツを咀嚼する音が僕の心にしみ込んでくる」みたいな感じだったが、兄と読んでゲラゲラ笑った記憶がある。この教科書を処分した後無性にこの話を読みたくなり吉行淳之介の『ピーナッツ』をネットで調べたのだが、個人ブログで教科書の思い出として少し触れられているのと、yahoo知恵袋的な質問サイトで「なにぶん多作な作家で、どの本に収録されているのかまでは分からない」と回答されているのが見つかっただけであった。また読みたいのだが、掲載されていることに賭けて吉行淳之介の短編全集を借りるか、『ピーナッツ』が載っていた国語の教科書の古本が売られてないか探すしかない。今調べたところ、三省堂の昭和59年度版『現代の国語』中学2年向けに載っていたらしい。https://tb.sanseido-publ.co.jp/kokugo/24jKokugo/Chronicle/s59-2.html
自分が使っていたCROWNの英語教科書はまだ保管してある。この中の“A CUP OF TEA”という短編?エッセイ?思い出話?が好きだからだ。語り手のイギリス紳士は社交場でご婦人から紅茶を勧められた時「じゃあカップに半分だけ」と言ってるのにいつもカップになみなみと紅茶を入れられるのに不満があり、お願い通りカップに半分だけ紅茶をついでくれた女性と結婚する!と決意をかためる。あるときその条件を満たす女性が現れてめでたく結婚するのだが、のちに男性が思い出話としてその話をふると妻は「あのときは恥ずかしかったわ~。ポットに少ししか紅茶が残ってなかったんだもん」と応じたのだった。というオチ。わりと有名な小話なのか、googleでjust half a cup of tea と検索するとその内容に触れたブログがすぐにヒットした。こういう他愛もない話が不思議と印象に残っていたりするものである。