近づく、遠ざかる、それ以外
人付き合いというものは馬の合う奴とは付き合う、気に食わないことをしてきた奴とは絶交するという風にシンプルに済めば楽なのだが、実際にはもっと曖昧ではっきりと判断するのが難しい。特に誰かと疎遠になる場合、ケンカなど決定的な出来事はなくてむしろ感じよくやり取りしてたのに「そういえば最近なんか関わりが無くなったな」みたいなことの方が多い。はっきり言語化できない(或いはいちいち言語化しようとも思わない)部分で、波長や生活リズムが合わなくなったとか興味関心の方向性がズレてきたとか色々あるんだとは思う。この場合の「疎遠」とはやり取りの頻度低下が本質ではない。気心の知れた相手とは数ヶ月とか数年単位で間が空いてもどちらかの気が向いてタイミングが合えば気負い無く楽しく会ったり話したりできるからだ。
微妙に話がズレるが、ネットとかでも自分のストレスをなくすため嫌な言動をとった人とはきっぱり交流を断つみたいなのは実際には難しい。特に義理やしがらみがある場合でなくても、そもそも100%自分が気に入る言動しかしない相手など存在しないしなんかやだなと思ってもたまたま自分のコンディションが悪くて過敏に反応しちゃっただけかも、受け流せば済む程度の違和感かもと思って黙って繋がりを維持する場合が多い気がする。ただ、明確な対立がなくても自分の感覚からしたらなんか引っかかるなぁという言動が多い人と繋がってると気付かぬうちにじわじわと精神が消耗することもあるだろうし、かと言って気に食わない言動をした人とは即座に縁を切ることを徹底していたら誰とも人付き合いできないだろうということもあるので、関係を維持するかしないか決めるのも難しくて個々のケースによるだろう。それこそはっきり言葉にできない感覚とかバイブスに頼った判断になってくる。直近で、といっても数ヶ月前の話になるがそのへんの微妙な判断に迷ったすえにリムーブ→ブロック→ブロック解除(こうするとお互いフォローしてないが投稿は見える状態になる)したことがある。本当に些細でくだらない理由だと思うが、フリマアプリで商品に飲食物系のちょっとしたオマケをつけて送ってくる出品者を友達と小馬鹿にして「そんなの捨…いやなんでもない 笑」「捨てるとかハッキリ言っちゃ悪いよ〜笑」などとはしゃいでいたのが皮膚にずっと刺さっている植物かなんかのごく小さなトゲみたいに引っ掛かっていたからだ。言っておくと私はフリマアプリでオマケをつけて商品を送る類の人間ではないので自分を間接的に貶されて気を悪くしたのではないし、その人達も日々の投稿を見る限りごく常識的で良心がある普通の人達に見えたし、日々ポイ捨てや行列への割り込みなどせず真面目に暮らし道でコケた人とかがいたら大丈夫ですかつって助けてあげたりしてると思う。先述のやりとりにしても、友達とネタにするのではなく「悪いけど気持ち悪いんで自分はそういうのは使わずに捨てます」と淡々と投稿してたら私も別に気にならなかったのかもしれないという気がする。今ふと思ったけど、なんとなく嫌だと感じた物事をなんとなくとか感覚的にとかで片付けず、敢えて詳しく言葉にして自分の考えの道筋を辿る習慣をつけたらなにかしら自己分析の役に立ちそうですね。やり過ぎたら気が滅入るかもしれんけど。
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