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インドネシア滞在記⑯苦手な食べ物

 インドネシアに来てから私はどんな食べ物も、大抵何でも喜んで食べた。インドネシア料理は本当にどれも美味しかったというのもあるが、同じ料理でも地方によって味付けが全然違ったり、その土地ならではの郷土料理があったりした事も興味深かった。果物なんかはドリアン、マンゴー、ランブータン、マンゴスチンなど日本ではなかなか出会えないものばかりで、旬の季節になるとそれがものすごく安く買えてしまう。一時期は、毎朝マンゴーとパパイヤばっかり食べていてお手伝いのビビにも笑われていた。新しい果物に出会うたびに私が「これは日本にはないんだよ」と言っていたので、インドネシア人の友人達は「日本にはどうやら果物が全然ないらしい」とこっそり噂していた。

 最初の2か月こそ毎日のようにお腹を壊していたものの、そのうち段々どうでもよくなってきて、ゴキブリが走っている汚い屋台だろうが、トイレの後に手をちゃんと洗っているのか怪しいおっちゃんの屋台だろうが「まぁ下痢すれば治るだろ」と気にせずバクバク食べた。

 そんな私だったが、どうしても苦手な食べ物が2つだけあった。それは「オンチョム(oncom)」と「アヤムケチャップ(Ayam kecep)」という料理だ。
「オンチョム」との出会いは、大学近くの八百屋さんだった。そこは小さいお店で、細い階段を上がった2階にあり、私はその日アゲと買い物をしにその八百屋さんをウロウロしていた。するとアゲが、「アン、こっちこっち。チョバチョバ!」と言ってニコニコしながら手招きし、何やら怪しげな食材を指さしている。チョバ(coba)とは「試す」という意味で、この食材を食べてみよと言っているのだ。見ると、それはなにやら四角い豆腐のような形をしていて、本体が見えないほどオレンジとか黄色とか緑っぽいふわふわしたカビらしきものに思いっきり包まれている。どこからどう見ても風の谷のナウシカに出てくる腐海に生息している猛毒の植物にしかみえなかった。この時ばかりは、アゲを疑い「これ、食べて大丈夫なやつ?」と聞いたが、大丈夫だからとにかくチョバしろという。まだ納得がいってなかったが、ここまでNGなしでやってきたのに、こんなカビまみれの謎の食べ物に負けるわけにはいかなかったので鼻をつまんで一口だけ食べた。触るのも若干ためらわれたし、見た目のインパクトが強すぎて美味しかったのかはあんまり覚えてないが、ねっとりしていてちょっと塩辛かった気がする。後から聞くと、伝統的な発酵食品の一種でちゃんとした食べ物だったことがわかったが、もう一回食べろと言われたらちょっと自信がない。

 さて「アヤムケチャップ」は鶏を揚げ焼きにしたものに甘辛いソースを絡めたインドネシア料理で、アヤムは「鶏」ケチャップは「甘いソース」のことを意味している。インドネシアでは普通にポピュラーな料理である。
ある日、一緒に山登りをしたイサが、私がインドネシア料理を作れるようになりたいなぁと言っていたのを覚えてくれていて、家で一緒に作ろうと声をかけてくれた。その話を聞きつけたチャヤもひょいひょい付いてきて、私達は3人でアヤムケチャップを作ることになった。ちょっと食材を買ってくるからと言って戻ってきたイサの手には、皮をむかれて足をくくられた鶏が一匹丸ごとぶら下げられ、鶏の目が悲しそうにこっちをみていて、私は少し後ずさりした。
その鶏を頭以外のほとんどすべての部位を上手にさばき、しばらくライムと塩に漬け込んだあとに、油で揚げる。いったん取り出したら、今度はニンニクとショウガを香りがでるまで炒めて、そこに揚げた鶏を戻して甘いソースを絡めていく。するとたちまち美味しそうな匂いが部屋中に立ち込めた。辛さと甘さが絶妙に絡んで美味しかったが、わたしはアヤムケチャップを作りながら一つのことがずっと気になっていた。それは日本語では「もみじ」といわれる部分で、いわゆる鶏の足のことだ。イサが買ってきた鶏は一匹だったのに、鶏の足だけなぜか追加で購入されていて、三本の指に長い爪が付いた足が大量に炒められている様子は、ほとんどホラー映像だった。チャヤがその足をむしゃむしゃしゃぶりながら、「アンのためにたくさん買ってあるから遠慮せずに食べて」と言うが、見れば見るほど気持ち悪くなってきて、チャヤも恐ろしい妖怪にしか見えなくなっていた。頭の中ではイサの手にぶら下がっていた鶏の恨めしそうな目がまだこっちをじーっとみていた。
私は「もう食べた、美味しかった」とバレバレの嘘をついて何とかその場をしのいだが、インドネシアに来てから本当に手を付けずに食べなかったのはこの時が最初で最後だ。

 というわけで、いつかアゲとチャヤが日本に来たときは、まずは納豆とお寿司を食べてもらおうかなと私はひそかに思っている。

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