細野晴臣(聞き手:鈴木惣一朗)『とまっていた時計がまたうごきはじめた』(平凡社、2019年)

 今回は読書メモです。音楽の勉強を本格化させたいという意識が最近強くなってきて、そんな時に本屋で出会ったので買うに至った本です。細野さんのことは以前から知っていて、それは大瀧詠一を母経由で知った時にはっぴいえんどまで軽く手を伸ばしたから。この本はまだ読んでいる途中なのだけど、とても面白いです。音楽の専門的な話から、時事的な話まで幅広く対話が広がっていく、そのリゾームが心地よいのです。では肝心の読書メモに移りたいのですが、今回は自分が自分用に取っている読書メモをそのまま下に貼り付けるだけにしたいと思います。note上に自分を刻む、そんな行為。このnoteでもっと本の話をしたいと考えてます。それは主に自分用だけど、noteというプラットフォームでどなたかが僕のnoteを読んでいい本に出会ってくれたら良いなというaltruismでもあります。

p.109:
→『A Song Is Born』(邦題:『ヒット・パレード』)という映画があるらしい。で、ついさっきお風呂でシャワーを浴びている時に後で本屋のカフェに行ってクリプキを読もう読もうと考えていたら『言語哲学をはじめる』だかそんなような本があった気がするな。自分にとっての言語哲学をはじめる、は(そのような書名の本からではなく)クリプキからはじめるになるんだなーとか考えていた。その時音楽でもこんな感じのタイトルがついているものがあったような気がするんだけどな、気になるなと連想ゲームを始めてみたら、そう!オードリーの出囃子の『Showがはじまるよ』だ!と分かって嬉しくなった。千葉雅也的にいうとユーモアでコードを拡張する行為に近いことをやったわけ。哲学と音楽の間に連想列車を走らせたわけ。で、先の本は正しくは野矢茂樹『言語哲学がはじまる』なんだけど、『A Song Is Born』という表現に触れて、この書名を翻訳するなら『A Philosophy of Language Is Born』だろうなと思ったって話。間違っても『A Philosophy of Language Starts』なんて訳はしてはいけない。こういう翻訳への問題意識は『自衛権の基層』が翻訳刊行された時に「基層」がOriginsに訳されてしまった時の寂しさが頭に残っているからなんだろうね。

 これでもう終わりですが、僕の読書メモの慣習だけ少し触れとくと、ページ数の横のコロン(「:」という記号)の後ろに当該書籍で書かれたテクストの一部をそのまま書き抜き、あるいは、空白にして、そのページの書き抜き部分、あるいは空白の場合はそのページのおおよそ全体を読んで出てきた疑問やその自分なりの要約、または感想などを右矢印(「→」という記号)の後ろに書くという慣習で書いています。今回の読書メモを例にすると、コロンの後が空白なので対象のテクストは109頁(の全体でもなければ書き抜きするような特定部分でもない一定の範囲)ということになります。その下に(右矢印の後に)書かれているのは、今回は感想あるいは連想ですね。連想をよくするタチなのですが、記録しておきたいものはこうして読書メモに残したりします。以上で、本記事で書きたいことはほぼ終わりなのですが、最後にネタバラシ的に明かすと今回の記事はTwitterではちょっと書きづらい(だって長いし)、友達にメッセージで送るような内容でもない、ましてレポートや論文のテーマにはならないような内容のものを、千葉雅也『勉強の哲学』および『メイキング・オブ・勉強の哲学』の影響をそれなりに受けながら(自分用ではなくて自分用も兼ねるけど他者用でもある文章を書こうと思えたのは大きな影響)書いてみたものです。今回の記事に出てきた3冊は(今の)僕をよく象徴しているとも思うので、その記録を残すという(自分用の)意味合いもあります。が、どこかのどなたかに届けば嬉しいです。

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