あんみつナース

患者も医療従事者も癒される をモットーに安全・安心・安楽を考える看護師を目指します✩.*˚ 3つの安で「あんみつ」です😄😄😄 あんみつの経験を通して看護物語を伝えます♡ なぜ看護師になったのか?なぜ続けているのか? 綴りながら答えを出していきます✨✨

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最近の記事

看護が楽しいと教えてくれた人

准看護学生2年生になると臨床実習が始まります。 実習病院によっては天国か地獄か…!? 看護の世界は今でこそ男性がいますが、当時は女性ばかり…そして、実習必ず厳しく指導してくれる方々がいます。 私は比較的自由に学ばせて貰える病院だったので、実習は嫌いではありませんでした。しかしなかには厳しい指導を受け、トラウマになったという仲間もいました。 私の初めて受け持ちは精神科病棟に入院中の同年代で色白で赤みかかった髪の毛がよく似合う美しい女性でした。 彼女は右手、両足骨折、骨盤

    • 我はここに集いたる人々の前に厳かに神に誓わん…

      病院での学生1年のユニフォームは、白地に紺のラインの入ったストライプの白衣です。頭には三角巾をして髪をまとめます。 現在は多くの病院でナースキャップが廃止されていますが、当時の看護婦さんの頭にはナースキャップが載っていました。 ナースキャップは看護婦の象徴であり、憧れでした。キャップを貰う為に病院勤務と学校の両立を頑張っていたように思います。 そのキャップを貰える戴帽式…。 戴帽式は病院実習前に臨む前に行われ、看護の職業人としての意識と責任の重さを認識する儀式です。

      • 午前は病院!!午後は学校→病院!!

        看護学生として病院勤務が始まりました。 病院の近くのアパートが寮です。 そこで先輩看護婦と同期の3人で暮らしました。 先輩看護婦は日中病院で働き、夜間は看護専門学校(正看護婦を目指す)に通うとても優秀な人でした。 この頃はまだ「看護師」という名称ではなく「看護婦」でした。ここでは当時の呼び方で記します。 看護学校で2年勉強した後、準看護婦の資格が得られます。 正看護師の資格は看護専門学校に合格後、更に3年生か2年勉強して得られます。 うちの病院の準看護学生は2年生は5人

        • 運命の脳外科病院に就職決定!!

          看護師を目指すことを決めてから、学校の成績は右肩上がりでした。 しかし看護専門学校(正看護師)を受験するにはもう少し時間が必要でした。 なので准看護師を目指す専門学校を受験して、無事合格しました。 准看護師の専門学校は働きながら勉強します。 私は3つの病院へ面接に行きました。 同じクラスに同じ道を歩む友人がいて、一緒に就職活動をしました。 1つ目は面接希望3名、しかし募集は1名。 私たちは2人仲良く不採用!! 病院からは「同じ学校で1人を選ぶのはできないので、不採用にし

          一日看護婦さん(*ˊᵕˋ*)੭ ੈ❤︎

          思い立ったら即行動したい私としては、高校2年生から卒業までは凄く長く感じました。 すぐ高校辞めて病院で働きたいと思いましたが、叶うわけもなく…せめてアルバイトをしたいと願いましたが、募集もなく…。 仕方がないので「勉強しよう‼️」と決め、当時大学生だった従姉に家庭教師をお願いして数学と英語を教えてもらいました。 そうこうしているうちに3年生になり、夏休みに「一日看護婦さん」という看護婦体験をしました。 私の高校からは3人が参加しました。 他の2名は産婦人科に行き、赤ち

          一日看護婦さん(*ˊᵕˋ*)੭ ੈ❤︎

          白衣の天使に出逢う…そして白衣の天使をめざすことを決心!!

          前回の仮病で「虫垂炎」と診断されて手術をしたわけですが…この入院は私の人生を大きく変えました。 高校は家から近い公立という理由で親が小学生の時から決めていました。なので高校は親の思う通りに進学しました。 それなりに友達も好きな人もいて楽しんでいたとは思いますが、「何かが足りない」そんな風に思っていました。 そんな中で訪れた運命の日が松田聖子さんの結婚式=盲腸炎の手術日でした。 手術が決まり、心電図をとることになりました。 看護師さんが2人来ました。(今から考えると2人

          白衣の天使に出逢う…そして白衣の天使をめざすことを決心!!

          きっかけは松田聖子ちゃんの結婚式だった‼️

          看護師になるきっかけ? 高校2年生の時に人生が動きました!! 当時、芸能人の結婚式がテレビで中継されていました。その日は松田聖子ちゃんの結婚式♡ 私はどうしてもそれが見たくて学校をズル休みします。 私が学校に行く時間、両親とも仕事に出ていたので休むのは簡単でした。 しかし学校を休んだことを黙っておくわけにもいかず、仕事から帰って夕食の準備をしている母の後姿に「今日ね、お腹が痛くて学校休んだ。」 と報告しました。 「それなら寝ときんさい。」と言われると思っていたら、母は

          きっかけは松田聖子ちゃんの結婚式だった‼️

          ☆家族が看取った祖母の最期☆

          はじめての看取り 私のはじめての看取りは初回の記事でお話した父方の祖母でした。 寝たきり状態になり、どんどん痩せて元気がない祖母を見ながら、私はなんとも言えない恐怖を感じてました。 幼いながら、大人達の様子から何かしら感じ取っていたのかも知れません。 いよいよ最期の夜…。 お正月やお盆でもなかなか会えない叔父や初めて見る親戚…仲良しの従姉妹達が続々と集まります。 2階の従姉の部屋で遊んでいると「降りておいで~おばあちゃんに声かけて」と呼ばれ、祖母の傍に行きました。

          ☆家族が看取った祖母の最期☆

          ベッドを使わない、紙オムツを使わないオムツ交換!!

          初めての看護(介護)経験は? この問いの答えをする時にいつも頭に浮かぶ光景があります。 それは小学1年生まで遡ります。 寝たきり状態で布団に寝ている父方の祖母のオムツ交換をしている母の姿です。 祖母は9人の子供を産んだ偉大な人でしたが、物心ついた時には病気がちでした。家事は同居している長男の嫁である伯母とその長女である従姉がしていました。 そんな祖母との思い出はほとんどなく、記憶にあるのは布団に寝ている祖母の姿です。 後で知った話ですが、祖母の介護は同居している伯

          ベッドを使わない、紙オムツを使わないオムツ交換!!