認知症のおばぁちゃんと僕の半生(小学校編②)
ここまで、朗読してくださりありがとうございます。
僕は三年間という月日を家で過ごしてきました。
『好きなことをして自由に遊べる』それは、今の僕にとっては宝物です。
僕の遊びというと田んぼ道に生えてる木に友達役をしてもらい棒でチャンバラごっこをしていました。1人構成なのでずっと独り言を言っていて今思えば恥ずかしい事ですよね。
人が居ないので田舎の良いとこかもしれませんね。
帰っておばぁちゃんの料理を食べるそれも楽しみの一つでした。ただ、当時は全然気にしていなかったのですが運動不足の為かなり太りました。
当時、身長135cm体重42kgあり体型は変わりました。
釣りや読書なんかも好きで取り組んでました。
釣りは糸釣りがお金がかからずハヤやウグイやオイカワなんかが釣れて友達の居ない僕の仲間ともいえる存在でした。
本は双子の兄が学校で借りて来た本を読んだりしていました。弟想いな兄にだと思っています。
ここでの僕は人間不振になっていて人以外の物に興味があった時代です。
今考えるとコミュニケーション能力は学校に行かないと学べないと言うことが経験上分かりました。
コミュニケーション能力を身に付けるには早い段階で周囲がサポートをしてでも身につけた方がいいと思います。
後々不登校の僕でもコミュニケーション能力を一般レベルまでもっていけたやり方も教えます。
少し話が脱線してしまったので話を戻します。
僕が家に帰ると必ず悪魔担任が家にきます。両親と仲良さそうに話していると学校に連れていかれると怖くなりました。
必ず学校においでよと言って来るので当時は絶対いくもんかと思っていました。いまさら友達とかにも会いたくないし悪魔担任の元で授業を受けるのも怖くて嫌でした。
不登校を理解してくれるのはおばちゃんだけでした。
『1人でも理解してくれる存在』は当時の僕にとっては救いでした。
両親は仕事の傍ら僕をカウンセリングにいかせたり動物を飼ってあげるから学校に行ってと色々手を尽くしてくれていました。
当時の僕には学校に行きたい行こうとという選択しがないので何をしても無駄に終りますよね。
ただ、学校に行かないことで双子の兄や2つ下の弟に恥ずかしい思いをさせていたことは事実なので今考えれば申し訳なかったと思います。
それから、学校に行くまでの出来事を話していきます。
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