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「頂き女子りりちゃん事件から考える、ポリティカル・コレクトネスによる保護から外れてしまっているおじさん・弱者男性の生きにくさ」 2024年10月8日

↑頂き女子と入れたら出てきたAIイラスト

近年、社会におけるポリティカル・コレクトネス(PC)は、あらゆる属性の人々が公平に扱われることを目指している。しかし、特定のグループが保護される一方で、他のグループが無視され、社会的に生きづらさを感じている現象も少なくない。今回の「頂き女子りりちゃん事件」は、その一例として、中高年男性、特に「おじさん」と呼ばれる人々が直面する社会的な孤立や生きにくさを浮き彫りにしている。

まず、「頂き女子りりちゃん事件」とは、2023年に茨城県の50歳の男性が詐欺に遭い、3846万円を詐取された事件である。詐欺師である「頂き女子りりちゃん」は、自身の詐欺手法をマニュアル化し、それを販売することで他の女性たちに同様の手法を広めた。このマニュアルを購入した若い女子大生も、同じように男性から金銭を詐取し、詐欺幇助として逮捕された。この事件では、詐欺に遭った男性が被害者であるにもかかわらず、インターネット上で誹謗中傷を受けるという逆転現象が見られている。

50代のおじさんが20代に対して恋愛感情を持つのがそもそも気持ち悪い。
→そんなもの当人同士にしかわからないこと。気持ち悪いと思うのは勝手だがある特定の1ケースに対して他人が口出しする権利はない。

おっさんがいい思いをしたことに対しての対価を払うのは当たり前。それ以上のお金はおっさんの勘違い
→いい思いをしたことに対してお金を出しているのではなく夢を応援するためにお金を払っているのを別の目的で利用されているためシンプルな詐欺。
完全に的外れ。

※一応言っておくと決してパパ活のような行為が正当なものであり、夢を持っている女性に支援することが正しいと言いたいわけではない。私自身の感想としては、こんなお金の使い方をする男性に愚かな部分があったという風に思っていることも付記しておく。

被害者である男性がなぜ攻撃されるのか。それは、彼が「中年男性」というステレオタイプに結びつけられ、特定の負のイメージが投影されたからではないだろうか。彼らは、PCの枠組みでは保護されない存在であり、むしろ「おじさん」として軽視されたり、冷笑されたりすることが多い。今回の事件でも、詐欺の被害者でありながら、彼の行動や人物像が揶揄され、同情の声よりも嘲笑が先行している現状がある。

ポリティカル・コレクトネスは、性別や人種、性的指向など、マイノリティや弱者を保護することを目的としているが、その一方で「おじさん」や「弱者男性」という属性は保護の対象外とされている場合が多い。中年男性は、中年男性であるというそのカテゴライズだけで、汚い、臭い、気持ち悪いなどと言われ虐げられている場面が見受けられる。また、家庭内でもお父さんのものと一緒に洗濯をするななどという意見が当然許されるもののように通っている。かつて中年男性は、男尊女卑と言われていたような時代には社会的に優位な立場を持っていたとされてきたため、その特権意識や抑圧構造が強調されていたし、未だにされている部分もある。(私の考えとして今残っている男尊女卑議論の多くは似非フェミニズムによって作られたものであるというものがあるが、今回は割愛しまた別の機会に書こうと思う。)しかし、時代が進むにつれて、特に経済的、社会的に困難を抱える中年男性の数は増加しており、彼らの孤立や心身の健康に対する問題がある。

この事件では、被害に遭った男性が100%被害者であったにもかかわらず、その立場が考慮されず、むしろ「自己責任」として片付けられている点に問題がある。詐欺の被害者が責められるという現象は、インターネット文化特有の「被害者叩き」とも関連している。特に「おじさん」という属性が付与されると、その人物像はステレオタイプ化され、感情移入や同情がなかなか得られなくなる。中年男性に対する冷笑や偏見が広がる中で、彼らがどれほど社会的に脆弱であるかが見落とされている。

ポリティカル・コレクトネスは、差別や偏見をなくすための重要な理念であることに疑いはないが、その適用が一部の属性に偏ることで、他の属性が逆に差別や偏見の対象となってしまう「逆差別」の問題が生じている。中年男性や弱者男性もまた、社会的に孤立しやすく、精神的な苦痛や経済的困難を抱えることが多い。差別をきれいさっぱりなくそうとすればするほど別の差別が浮き彫りになったり、作り出されているのがポリティカル・コレクトネスの現状であり問題点であるともいえるだろう。

結論として、「頂き女子りりちゃん事件」は、PCの枠組みの中で中年男性や弱者男性がどのように見過ごされているかを象徴する事例である。社会的な弱者が誰であるかを再考し、あらゆる人が公平に尊重される社会を目指すためには、特定の属性に対する過度なステレオタイプや偏見を排除し、どのような立場の人々も声を上げられる環境を作ることが重要だ。またポリティカル・コレクトネスは一部の属性に限らず、すべての人に対して適用されるのが理想であるが、現実はそうではない。理想論をそのまま押し付けるのではなくより具体的にどうしなければならないのかを議論していく必要があるのではないだろうか。


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