「寿司打で一位になってみた」2024年8月22日
なんとなく練習していたら一位になっていた。
ただ単純にこの2年間noteを一切書いていなかった期間で成長したことを発表しようというだけの記事である。
サムネにもあるのでもう一度見せる必要は一切ないのだが、改めて見てもらおうと思う。
なぜかはわからないが、この数年間寿司打を飽きずに続けていた結果、週間なのか、月間なのか、はたまたその日に受けた人なのかわからないがなんか1位をとれた。これは非常にうれしかった。
これまた過去の記事で、何でもいいから一番になりたい、という旨の内容を記述していたのだが、それを何の気なしに成し遂げてしまった。そこで得られたものとしては、1位になったら何かが変わると思っていた当時の自分はがっかりするかもしれないが本当にメンタル的にはなにも変わらないという事実が分かったくらいである。かつては何かで1位をとることができれば精神的な過去の呪縛から解放されるのではないかと思っていたが、そんなことはなく徒競走で一度も一位になれずに社会人になろうとしていることは今でも死ぬほど悔やまれるし、サッカーの試合で自分が原因で負けてしまって優勝できなかったことは変わらず夢に出てくる。そういったしんどさとは結局これからも付き合っていかなければならないのだろうなあということで、結局主目的である1位をとることで過去の呪いから解放されるというのはなかった。
しかし、だからと言ってそれだけではない。それ以外に学べたことは結構あった。寿司打で1位をとるために結局大学1年から4年生になっており、3年ほどの月日がたっているわけなのだが、継続をすればどれだけ能力がないと感じていてもある程度結果を出すことが可能であるということを実感として得ることができた、というのは大きな成長なのかもしれない。
あとは、結果を出すためには成し遂げたいことを習慣になるまでやり続ければおのずと成長していくということも分かった。私は別に寿司打をやりたいと思ってPCを開いていたわけではなく、PCを開いたら手癖で寿司打を検索してしまうように体がなってから急速に結果が伸びていった。だからたぶん、プログラミングを極めたいと思ったら、最初はしんどくても毎日必ずPCを開けたら学びたい言語のスクリプトをいったん開いてみるというのを続けて、それが手癖になるまでやり続けていれば結果的にそこからどんどん伸びていくんだろうなあという予想が立った。
実際に、その経験を活かして私は毎日のように筋力トレーニングを今も継続できている。あまりご飯を食べないので筋肉量が増加していないのだがそれはまあ俺から頑張るとしても、毎日とりあえず何かしら体を鍛える行為を惰性的に行えるようになるまでは非常にしんどかったのだが、最近では毎日どこかしらのタイミングで体を動かそうと脳みそが勝手に指令を出し、その瞬間にできることをとりあえずやっている。一番多いのはその場で腕立て伏せを始めてそのままスクワットなどもやるというケースである。
こういうことを言うとトレーニング理論的には分割したほうがいいとか、栄養をちゃんと取らないと、とか言われるのかもしれないが今のところはどうだっていい。もっと余裕が出て習慣に磨きがかかったらたぶんいずれそういうところにも勝手に気を使いだすだろう。
もちろん何もしない日もある。死ぬほど自堕落な一日を過ごして終わってしまう日もある。本当にめったにないのだが今日は人に迷惑をかけるタイプの寝坊を数年ぶりにしてしまった。これは本当に反省しなければならないが、だからと言って死ぬほど落ち込むことはもうない。
そんな日があっても別に大きくへこんだりせずに明日また頑張ろうと思えるようになってから習慣をよりつづけることができるようになったと思う。今日を大切に過ごしながら、少しずつ成長できればいいなあと思いながらポテチを食べながらこのnoteを書いている自分。非常にいい気分である。