大学入試以後の英語学習3.2
前回の投稿では AI の発達に伴い、実用面から見ると外国語学習は不要になってしまう可能性が高いという話をしました。
同時通訳ガジェット
インバウンドで日本を訪れる外国人や、日本に居住する外国人とのきちんとした意思疎通(相手は英語話者とは限らない)が喫緊の課題となっている方々は全国に非常にたくさんいます。
鉄道各社の駅員の方やバスやタクシーの運転手の方、旅館や民宿のフロントクラークの方、USJなどのテーマパークの従業員、観光地の商店や観光名所の受付担当者、日本文化体験の担当者、あるいは外国人住民登録の市役所担当者、大学等の留学生受け入れ担当者、外国人への対応を迫られる医療従事者の方など、こういう方々は20言語くらいに対応していて、30ミリ秒以下の低遅延で同時通訳(先行研究によると、人間の同時通訳は2,000〜3,000ミリ秒の遅延とされています)してくれるガジェットが今すぐにでも欲しいことでしょう。
そして、こうしたガジェットはおそらく次に来る6Gの世界では実現すると思います。(いくら技術が進んでも現在の個人情報保護法上、医療通訳・司法通訳などガジェットを使ってはならないとされる領域もあります。技術と共に法律の改正も必要になってきそうですね。)
AI は囲碁が好きなのか?
しかし、人間が機械(AI)と異なるのは不合理なこともする点にあります「役にたたないとしてもやる」のが人間らしさと言えるかもしれません。
2016年に囲碁の世界では AI が世界トッププレイヤーに圧勝しました。引退にあたり、この棋士は AI に惨敗したことを引退理由のひとつとしてあげました。「実用」観点から言えば、もはやプロ棋士の存在理由そのものが危ぶまれつつあるわけです。
AI が Deep Learning 技術を備えることには「実用」上の意味があります。この技術によって AI は飛躍的に発展しました。世界トッププレイヤーに AI が圧勝したことはその技術のオマケみたいなものです。
でも人間が囲碁をするのは楽しいからであって、「実用」性の延長線上でとらえるべきものではないのではないでしょうか。「もちろん AI の方が強い。だけど私はやる。」というのが囲碁を愛している人なんだと思います。
その愛が AI の合理性を打ち負かすこともあります。2023年2月、ChatGPT にも使われているアルゴリズムを備えた最強の囲碁 AI にアマチュア棋士が 勝ったというニュースが流れました。快哉を送りたいニュースでした。
最強の動機
「外国語学習が不要になる」というのも、あくまで実用面(それも一部)だけの話です。役にたつ・たたないとは関係なく、素朴に「なんとなく外国語を学ぶのって楽しい」という人がいることを否定するものではありません。
こういう楽しさにはじまる学びは本物です。楽しんでいる時に人は最も伸びるものだからです。日本においては、異なる文化・異なる人種への開かれた精神へと通じる側面もあります。これはコミュニティ(日常生活・学校)でも尊重すべきことではないでしょうか。
私自身もこれまで様々な言語を学んできました。はじめての第2言語はフランス語でした。小学校に入る前のことです。近所に越してきた女の子と仲良くなって、彼女ともっと仲良くなりたくて、彼女や彼女の家族と話すうちに自然にフランス語を覚えました。恋のトキメキは最強のモチベーションですね。
大人になってからは、哀しいかな、実用が第一の理由でした。日本語もそうですし、ロマンス諸語、ゲルマン語群、スラブ語群もそうでした。英語版の存在しない資料を現地に行って探し、読む必要がありました。
しかし、現地の人とのつながりができてくると、学びの理由が変わってきます。子供の時のように好きになった人もいましたが、大人になってからの理由はもうちょっと哲学的。たとえば、カタルーニャ語を話す人とクロアチア語を話す人では思考や情動の回路が異なるということに驚きを感じました。
Deutscher, G. (2011) に記されているように、異なる言語を使うと「ものの色が違って見える」のに始まって「人の顔が違って見える」など、驚くことだらけ。その差異の発見が楽しかったのです。
〔参考図書〕
Guy Deutscher D. (2011) Through the Language Glass: Why the World Looks Different in Other Languages. Arrow Books.
ガイ・ドイッチャー『言語が違えば、世界も違って見えるわけ』(ハヤカワ文庫NF)2022年.
https://www.amazon.co.jp/dp/4150505861
英語を学ぶとき、皆さんにはどういう発見があるでしょうか?
この2つの世界の違い。かたや主語なし、かたや主語あり。目的語の位置が違う。こういう差異を「メンドクサイ」と思う人は通訳ガジェットを買えばよろし。
笑って「あれまあ、なんじゃこりゃ〜🎵」と(吉本新喜劇風に)すべって転んでみせる関西風ユーモアがあるなら、それはそれで英語を学ぶモチベーションになります。
TEDx Talk で「英語を学ぶのに才能は関係ない」と Chris Lonsdale は言います。確かに(投獄された場合など)英語を話さないと生きていけないというようなギリギリの状況に身を置くとモチベーションは爆上がりです。さぞ高速で英語が身につくでしょう。クマの群れの中で暮らしたらクマ語が話せるようになる(←なるか!)のと同じ理屈です。
しかし、とりあえず英語圏に飛び込んでしまったあとに強盗にあって一文無しになったというような人と、日本で英語を学ぶ学習者はだいぶ状況が違います。そこでは、続ける才能・再び始める才能というのが大事になると思います。これには運や縁も含みます。ずっと付かず離れずの関係の、長い付き合いの人みたいなもので、「別に嫌いじゃない。なんなら好きなほうに入るかも。」くらいの距離感で英語がそばにある…というのは運がいいですね。
幸い「なんとなく好き」というゆる〜いモチベーションが保てていて、英語と細く長くつきあっていこうというエンジョイ勢であるあなたには、いろいろなお楽しみが待っていますが、お楽しみチャンスを逃さず活かすためには、どこかで基礎をしっかり身につけておくほうがいいです。
大学入試以前に戻ってもいいので、英語の語順に逆らわずに、左から右に考えたり、感じたり。そういうことをしているうちに、英語で考えたり、感じたりするようになっていきます。いわゆる「英語脳」が定位しはじめるのです。それが、ここで言う「基礎」です。
このあたりの詳しいお話はまた別のポストで。