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【妄想の種】グノーシスが何なのかをまとめておく

原神を考察するにあたり自分的にグノーシスがいったい何なのかをまとめておくことにした。
参考としては「グノーシス キリスト教の異端」を使用して、読んだうえでこんな感じだったな、という風に個人用の簡易まとめとして作成している。
また内容としては、どういう考え方なのかのみに重きを置き、成立に伴ってどんな動きがあったのかというのは除外しています。

注意点

  1. 原神というゲームを考察するためのまとめではあるけれど、あくまでも現実世界で研究されている「グノーシス」という思想についてのまとめであるということはご留意ください。

  2. グノーシス キリスト教の異端」を読んだうえで、私風にまとめています。詳細を知りたい方はどうぞお読みください。

  3. 「あ、これも必要そうだな」と思うことがあれば、後程追記修正します。

グノーシスとはなんなのか

そもそもグノーシスは、「キリスト教グノーシス派」を指す言葉だった。
だが現在はそれに限らない幅広い哲学的ジャンルを指してグノーシスは使用されているし、グノーシス的な考え方は現在も多数存在する。
そのため「グノーシス主義」といえば、キリスト教グノーシス派のことを指し、「グノーシス」といえば、哲学的な思想のことを指す。

グノーシス主義は紀元2世紀ごろから勃興したと考えられている。
また、なぜ異端として見られるようになるかについては、キリスト教を簡単でもよいので理解する必要がある。

そもそもキリスト教についてのざっくり解説

すこし脱線してキリスト教についてもちょこっとだけ触れておく。
不必要な方はここを飛ばしてください。

キリスト教は、ナザレのイエスが起こした奇跡、更に彼を旧約聖書(タナハ)に言及されているキリスト(救い主)として信仰する宗教のことを指す。
こうしたイエスの起こした奇跡や発言は新約聖書にまとめられているため、キリスト教徒にとっての聖典は旧約聖書と新約聖書になる。
そしてここでいう旧約聖書は、ユダヤ人にとっての聖書であり聖典のことだ。
そのため、キリスト教徒がたまに口にする「父と子と聖霊」の父とはキリスト教の神であり、ユダヤ教の神のことを指す。同一の神を、違う教義で信仰しているのがユダヤ教とキリスト教だ。
そういうこともあってユダヤ教とキリスト教には教義として重複するところがあり、その最たるものが「唯一神であること」(他の神を信仰してはならない)というものがある。

だからキリスト教も、唯一神以外の神が存在するというのは教義としてNGであるということが、まず前提だ。

グノーシスが異端である理由

ということで脱線したがここからが本題。
グノーシスがキリスト教にとって異端であると言われた理由、
それは「唯一神は偽りの神であり、別に本当の最高神がいる」というのがその教義だったからだ。

一神教の分派のひとつとして生まれたはずなのに、グノーシスは一神教であることを否定していた。
これはキリスト教としては致命的な考え方だ。唯一神以外に神は存在してはならない。最高神以外神は居ないという考え方だからだ。
だから異端の烙印を押されてしまい、正当な教義ではないとされてしまった。

ではなぜこんな考え方が生まれたのだろうか。

「我々はどこから来たのか」が根底にある

そもそも「グノーシス」という言葉は「知覚」とか「知る」といった意味を持っているそうだ。
要するに人間がいったいどこから来たのか?ということを知るというのが「グノーシス」の本質なのだが、それと同時に「どうして神様が作った世界なのに、こんなに私たちは辛い思いをしなければならないのだろうか」
という疑問へ応えるための考え方でもあると言われる。

こんなにつらいことがたくさんある世界を、本当に最高神が作ったのだろうかと疑問に思った人はこう考えた。
「その最高神は本物なのだろうか?実は別の神によって作り出された、偽りの神なのではないだろうか?」
「その偽りの神を信仰しているから、我々はこんなに辛い思いをしなければならないのではないだろうか?そもそも我々がいたのは別の世界だったのではないだろうか?」
「ならば、この偽りの神の世界にいたらいつまでも不幸になってしまう!脱出しよう!」

グノーシスという思想をまとめるとこういうことなのだ

グノーシスの神話について

もともと原初の世界はプレーローマと呼ばれる世界だった。至高神が創造した世界だった。
その至高神以外にも神(神性/アイオーン)は沢山いた。
アイオーンのひとつ「ソフィア」は自分の力を見せつけようとヤルダバオートやデミウルゴスと呼ばれる偽りの最高神を作った。
このヤルダバオートは自分が他者に作り出された存在ということはすっかり忘れている。
我々人間の住む世界は、このヤルダバオートが作った偽りの世界である。

ざっくりと、こんな神話がグノーシスの創世神話だ。
もうちょっと彫り込んでみる。

アイオーンのひとつである「ソフィア」は、アイオーンたちの中でも位は高くない。
そのため至高天の神に謁見する権利はないのだという。
そこでソフィアは考えた。
「自分だって神なのに、至高天の神に会えないのはおかしくない?大体どんなやつなのかも良く分かんないし」
「なら私の実力を見せれば、会えるんじゃない!?」
そこでソフィアは自分の力を至高天の神に見せるため、ヤルダバオートを作ったというのだ。

「グノーシス」という言葉は「知覚」とか「知る」という意味だというのは上記でも書いたが、このソフィアの欲求こそが「グノーシス」だと言える。
「我々の偽りの神を作り出した神も、何かを知りたいという欲求の果てに偽りの神を作り出したんだ」
グノーシスの信仰を作り出した人は、こんな風に考えていたのかもしれない。

最後に

ということでざっくりと読んだ本の内容をまとめてみた。
原神という世界観をこのグノーシスの神話に合わせて考えると、こんな妄想もできそうだ。

  • そもそも最高神は天理ではなく、彼女を作り出した、または操っている誰かがいる。

  • この世界から脱出しようとした、脱出したい存在がいる。

  • そもそもこの世界が偽りの世界であり、真実の世界はその外側にある。

特に最後については以前、似たようなことをスカラマシュも言っている。
こうした考え方が原神の世界観には反映されているというので、さてその外側はどうなっているのだろうか?と考えるとわくわくしてくる。

そろそろアプデもくるので、まずはスメールを存分に味わっていければと思う。

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