元の自分ではない、自分

人と話す時が怖くなる 涙がよく出る 緊張する 言われると言い返せない 心の病は、一度な…

元の自分ではない、自分

人と話す時が怖くなる 涙がよく出る 緊張する 言われると言い返せない 心の病は、一度なったら 元に戻れない。 普段は明るく振る舞えるが 時々ある、黒くてモヤモヤした自分がいる 死ぬな、生きろと。 そう自分に言い聞かす。

最近の記事

短大生活、1年目

桜が満開の校内で、新しい門出を祝う様に 綺麗なうすピンク色の花達が咲いていた。 私は、そんな桜にも目を、向ける余裕もなく、 重い専門書をロッカーにしまう。 これから、看護師としての勉強の生活が始まる。 短大は普通2年課程たが、看護科は3年課程。 大学で4年かけて学ぶべきものを3年という 短い期間で、知識、技術、そして、病棟実習となる。 私立の短大1年目は、 興味のない、難しい専門用語が並べられた 授業。 授業の進みも、とても早くて… 正直、わけがわからない状態だった。

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      進路が決定し 友人もボチボチ進路が決まってきた頃。 私は、友人とプライベートで 最初で最後の旅行をした。 進路が決定し、時間的にも、精神的にも ゆとりのある時だった。 男3人、女2人。 なんとも、微妙な組み合わせだけれども 予定が合うのが、このメンバーだった。 このメンバーで、 地方を走る1時間に1本しかない 超ローカルな電車に乗り 大きなスポーツバックを背負い MDウォークマンを聴きながら 電車に揺られた。 スポーツバックには、 スキーウェアや着替えなんかが入って

      • 不合格と絶対合格

        公立高校の一般入試の合格発表の日。 弟は、公立高校の受験に 失敗した。 結果発表を見に行って帰ってきたら 部屋に閉じこもっていた。 合格圏内と言われていたけれど 【不合格】 という、結果に終わった。 これで、私立の特待生として、 高校生活を歩むことが決定した瞬間だった。 弟の受験の失敗は、 母にとってもショックだったのだろう。 私に対する風当たりも強くなっていた。 時は流れて 私が高校3年の夏が過ぎた頃 高校の先生との進路の面接があった。 簡単に言えば、

        • 母の機嫌と進路

          学区外の高校を受験する!? 学区内の高校だって良いでしょう!! なんの為に高い塾代を、 支払ってると思ってるの!! 公立の高校に行ってもらわないと困るのに!! 母親の怒鳴り声。 最近毎日の様にヒステリーを起こしている。 弟が高校受験を控えた時のこと。 すこぶる母の機嫌を悪かった。 母が情緒不安定と言っても良い。 何故、こんな事になっているのか。 それは、母が思っていた高校を 弟が 受験しない と言い出したからだ。 何故受験しないのか? 弟曰く、 レベルが落ちた、

          家族と高校について

          ここに、私の家族の事について 話したいと思う。 当時私が、高校生だった頃。 家族構成は、父、母、私、弟の4人。 地方住まい。 父は会社員。 母は保育士。 弟は私より年齢が2つ下。 父という人間は、あまり話したりしないが 感情的に怒ったりすることもなく 暴力的になることもない。 よく、私に言っていたのが 自分の好きな事をして、 一生懸命にやりなさい。 途中で辞めるくらいなら、 後悔しないようにしなさい。 そういう父だった。 父は勤め先が遠く、早朝に家を出て 公共機関を

          プロローグ

          これは、私自身の人生について ノンフィクションのお話し。 物語として読んで貰えたら嬉しい。 私は、親の敷いたレールを途中まで歩み、 その後、対人恐怖症、学校内でのいじめ、 先生による暴言の圧力などが重なり、 自殺を考えるようになり 通っていた短期大学を残り半年の所で 留年が決定し中退。 後に、適応障害を発症。 私の最終学歴は高卒。 今、 これを読んでくれているあなたに言いたい。 人生は学歴が全てとは言わない。 だけど、自分がやりたいこと、 したいことがあるなら 親が