今から万葉集を超える一首を詠みます
山覚めて
新芽と共に
凍死体
スーパー詠み人あんこ
「なにこれ? ちょっとウケ狙いすぎじゃないかなぁ」
幻聴だ。けど、絶対に言われる気がする。あとこれ俳句だし。万葉集は短歌が乗っていて、五・七・五・七・七のリズムで詠む。ちなみに『山覚めて』は雪解け的な意味なので春の季語です。スジは通ってる。
和の文化はとても好きだ。例えば和室の畳の手触り。夏に縁側で涼しい風を感じるとき。お寺や神社に赴いたときの非日常感。
でもそんなもんだよね。
日常的に詫び寂び感じてないよね?
でも昔の人ってこういう詩をさ、ラブレターだったり日記だったりに添えてたわけでしょ? まあビル化コンクリート化でいわゆる『和風』が少なくなったのかもしれないけど……なんか納得できないんだよな。
短歌とかって、個人的には海外でいうアメリカンジョークぐらい日常的に使われてた気がする。アメリカンジョークを言う頻度は知らないが。ややこしいこと書いちゃったね。
とにかく、悔しいんだ……すっげえ悔しい!! なんで何百年も前の奴らがよぉ、ふっつーにできてたことがよぉ、今の自分らはできないの?
こんな↑低いクオリティになるの??
あんま共感されてない気がするから本音を言います。知り合いが俳句だか川柳だかで賞を取ったのを思い出して、嫉妬しています。ダアアアアッ!!
言ってることに脈絡がなくなってきたので、スベりついでにさっき思いついた川柳を詠みますね。
うんこぶり お久しぶりぶり お水ポチャン
笑えよ。この一句にじゃなくて、こんなもん作ったあんこを笑えよ!!!
あー、審査員も「こいつの超すべってんじゃん(笑)」って思ってたのかなぁ! それとも「はい次」って感じに流されたのかなぁ!!??
むかつくむかつく! できない自分に、無力な自分に腹が立つ!
そいつに「おめでとう」を誰よりも先に言った。誰よりも大声で言った。誰にも見えないところで拳を握った。誰よりも嫉妬した。それでも足りなかった。
あのときの情熱とか、やる気とか、どこいったんだろうな。
amazarashiは歌詞に、
くさって白けて投げ出した いつかの努力も情熱も 必要な時には簡単に戻ってくれはしないもんだ
と綴った。ずっとそんなことを考えてる。それで憂鬱になっていく。
どんなストレス発散法ももう効かないんだろう。だったらやることはひとつ。天賦の才能も、努力する才能も、自分には欠片もない。
だったら才能をつくるしかないな。考える前に走り出して、転んだらのたうち回ればいい。立ち上がり方は、今の時代なら科学が手助けしてくれるんじゃない?
ありがとうamazarashi。
今は人の力を勝手に借りている。だけどいつか、自分の言葉で自分を鼓舞できるようになってやるよ。