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SMと私【第5回】@罰と許しとラブホテル(つづき)

2人でただお部屋でゴロゴロしたい彼(ラブホテルに行ってみた~い♥という無邪気な好奇心も拒否されていましたww)と、会うたびにセックスしたい私。どこかで読んだ、

「彼の部屋にいる時はパンティはくの禁止なんです~(//▽//)」

などという、本当かどうかも分からないカップルの告白記事にたまらなく嫉妬し、そう言ってもらえる女子と私の違いは何なのだろうと考え、自分を責め苛む毎日でした。

私だけがオカシイのかと、老舗の某TEL相談に電話をかけたこともありましたが、そこでも、

「そんな悩みは聞いたことがない」「そんなことで悩む方がおかしい」

と言われ、さらには、

「彼には(性に)淡泊な人生を歩む権利がある」

と返される始末でした(確かにそうですが……)。

それなら私にはセックス漬けの人生を歩む権利がありそうなものですが、なぜか世間的にそれは「自分を大切にしていな」くて、「彼の気持ちを考えていない」ことになるのです。

※この「(みずから望んで)たくさんセックスする」ことが、なぜイコールで「自分を大切にしていない」ことになるのかは、イイ年になった今でも理解できないままです。

私は彼の「心の交流を大事にしたい」という真面目な気持ちを無視してカラダばかり求める、人並みはずれて淫乱なサイテー女。一番大切なものが何か分からないキチ●イ……どこまでいっても悪いのは私です。

何度も自分を責める言葉を繰り返しているうちに、子どもの頃に悪いことをしてひどく叱られて……それでも叱責が終われば、
「分かればもういい」
と許されたことを、思い出しました。

私は悪い人間、悪い人間は罰を受けなければなりません。

……でも、もしかしたら私もうんときつく責められ、思い切りお仕置きと罰をうければ……そうすれば許されるかもしれない……。

想像の中の私は〝その人〟に厳しい言葉で責められ、お尻を打たれ、牢屋に閉じ込められ、ひどい罰を与えられます。けれどひとしきり嵐のような叱責が終われば〝その人〟は必ず、

「わかればもういい」

と私を許し、涙をぬぐい、抱きしめ、許しと承認の証として私を何度も抱いてくれるのです。

それが私がたどりついた「正気を失わない方法」でした。

もちろん目の前の恋人にそんなことを言う勇気はありません。私は長い夜とリビドーを持て余し、夜中は自室の電話機に向かうようになりました。

「私を思い切り罰して欲しいの。SMしてみたいんです!」

「0120」で始まるフリーダイヤルをプッシュし、繁華街の個室でひとり受話器を握りしめている、誰とも知らない男性に向かって、ふり絞るように訴える。

そんな身を切り裂かれるような慟哭が、今日まで続くマゾヒストとしての人生のはじまりだったのです。



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