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はっぱ隊で人生をあっさり取り戻した

「こうなったら幸せ」から逆算していけば、今やるべき事が見えてくる。

どうなるのが幸せか。
どうしたら自分がハッピーか。
人にはそれぞれの幸せがあって。

幸せ幸せ幸せ…

私にとっての幸せって。何。もうわからない。

周りには情報が溢れ、経験も知識も徐々に増えてきたのに、それとは逆に自分自身はどんどん見えなくなる。
ロールモデルを見つけるといいとか、理想の自分を考えろとか、もううんざりだった。

そんな中、夢中で観ていた「笑う犬の冒険」というコント番組を思い出す。
生まれて初めて教育テレビ以外で観たバラエティ番組。
間違いなく人生の基盤になったコント。人を笑わせることが大好きだったのに、そんな記憶は時間と共に霞んでいった。

―9時間睡眠 寝起きでジャンプ
 どんないいことあるだろう 生きていたからLUCKYだ

放送当初小学校の低学年くらいだった私にとって衝撃のビジュアルだったはっぱ隊。
曲もよく聴いていたな…と思い、久しぶりに聴いてみたら心にぶち刺さって泣いてしまった。
懐かしさの涙ではない。これ以上ない救済だった。

ハッピーとも歌っているが、はっぱ隊のこの「YATTA!」という曲にはラッキーの方が歌詞に多い印象。
生きていることをハッピーではなくラッキーと言っているのだ。

「ラッキー」というものの見方をすると、何もかもが正解になる気がした。

人の意見や人生が簡単に見える時代になったのは良い事だと思うが、
他人軸で生きがちな私にとっては結構まずい事でもあった。
YouTubeを見ようがネットニュースを見ようが、真っ先に確認するのはコメント欄。
自分が思ったこととコメント欄で多くの人が書いていることが合っているかどうか。
そんな確認を繰り返すうちに自分の輪郭はどんどんぼやけていった。

―お水飲んだらうめー!(やったー!)
 日に当たったらあったけー!(やったー!)
 腹から笑ったらおもしれー!(やったー!やったー!)
 犬飼ってみたらかわいー!(やったー!)

そうか、いつの間にか気にしすぎる性格になってしまった私に一番必要なのは(やったー!) で考えを止める事だ。

水を飲んだらおいしかった。
…喉が渇いてたら何だっておいしいでしょって言われる?
…他にも水があるのにそれでおいしいとか言っちゃうんだって思われる?
…てかpH値とか気にしてるの?って言われる?

違う。
私はこの水を飲んだらおいしいと思った。(やったー!)
それだけでいいのだ。充分。
水がおいしかった!ツイてる!それだけ。

コント内で職を失って絶望するウッチャンに、「やった!これで、何でもできるぞ!」と言うはっぱ隊。
婚約破棄されたパターンでは、「やった!これで世界中の人と結婚するチャンスが生まれたんだ!」というはっぱ隊。

はっぱ隊の「ラッキーだ」という発想は、私の日常を途端に輝かせた。

自分自身の声が聞こえてくる。
幸せとは目標として掲げるものではなく、今この瞬間のラッキーを感じ続ける事ではないか。

こうやってマインドを変えていくと良い、こうやると人生が好転していく、と誰に言われてもどんな本を読んでもぼやけたままだった私の輪郭を、小さい頃ゲラゲラ笑って観てたはっぱ隊がはっきりと捉えたのだ。

「周りの人が何て言うか」ではなく「はっぱ隊なら何て言うか」と考えると、言葉がポジティブにしか転ばないのである。
すっかり忘れていたあの底抜けの明るさ。
ネガティブから私を守ってくれる、最強のボディーガードである。

「好き」とか「楽しい」にしっかりと目を向けていた人生を、こんなにもひょんな事から取り戻してしまった。


そういえば、新卒で良くない環境に気付けず心がボロボロになって、笑えなくなり記憶も抜けて体の感覚もなくなった時期があった。
転職後回復し、当時の履歴書やノートなどを整理していた時、「内村宏幸放送作家Class」に応募した形跡を発見した。

記憶が抜けてしまっていたので応募したことは後になって気付いたが、
生きているか死んでいるかわからないあの絶望の日々の中で、私はコントを書こうとしたらしい。
はっぱ隊の事なんか微塵も頭をよぎらなかった状況下で、本能的にあの底抜けの明るさを手繰り寄せようとしたのだろうか。

そして昨日、有線イヤホンで音楽を聴く私をわざわざナンパしてくれたお兄さんへ。

「何聴いてるの?K-POP?ねぇご飯とかどう?」と声を掛けてくれましたね。

奥ゆかしく微笑んで去った私のイヤホンに流れていたのはK-POPではありません。


一枚の葉っぱで股間を隠した男たちの歌です。


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