ほんの些細な行動がきっかけで、人生が簡単に動くことがある。 一気に180度変わることもないのだと痛感もしたが、 何かは変わったのだろう。確実に。 行動することは本当に大切なことだと気付かされる。 緊張しながらも前に進んでみた時間は、振り返ると宝物になっていることがある。 人生を変えるとは、90度とか180度とか大きく角度を変えることではない。 1度でも進む角度を変えれば、その先にはきっと想像もしていなかったような人生が待っているのだろう。 希望も不安も緊張も、
「石橋を叩いて壊すタイプ」と言われるほど心配性な私である。 好奇心旺盛な割に起こってもいない不安が次々に頭に浮かび、考えすぎて踏み出せない。 うまくいかないパターンや危険なパターンが、頭を埋め尽くしてしまう。 リアルで些細なものから、「それはもうハリウッド映画だよ」と笑われた事もあるほど壮大なものまで。 こんなに浮かぶもんかね…と、自分でも引くレベル。 危機管理能力がカンスト状態で、逆に結局何もやらないという、ある意味いちばん危険なパターンを選択しがち。 スタート
《フジテレビ開局45周年記念ドラマ「白い巨塔」(唐沢版)について》 第一話。 大阪府知事の手術前。 財前が第一外科助教授室でオペのシミュレーションをするという短い場面で、ドラマの世界観を表現しているオープニング。 財前がオペのシミュレーションをする際いつも鼻歌で歌っている曲、リヒャルト・ワーグナーのタンホイザー序曲に乗せて流れるように主要人物を映す。 このシーン、特に印象的に感じるのは財前と教授たちの対比。 暗い助教授室でシミュレーションをする財前は窓の方を向き、
時々、あの日スーツを着たまま夜の公園のベンチで号泣していた自分の前に、立ち尽くしている感覚になる事があった。 もう大丈夫という私の声は、あの時の私には聞こえていない。 手を握っても、その感覚は伝わっていない。 不安と恐怖と絶望でいっぱいの私が目の前でベンチに座ってガタガタ震えて泣いているのに、今の私は透明で、力になってあげられない。 社会人1年目。 自分なりに模索してみたものの逃げ道を見いだせず、すべてのドアを閉ざされたような、灯りを消されたような、もう逃げられない
アメリカでの海外研修。 動物が好きな私は、 乗馬体験なる激アツイベントをとても楽しみにしていた。 当時高校生。スタッフの英語でのレクチャーを必死に受ける。 (へえ、両足のかかとでお腹を蹴ると前に進むのか…) 一人と一頭でペアを組みひと通り練習した後、 スタッフを先頭に生徒が一列で馬に乗って自然の中を歩く。 初めての海外、広大な土地。感無量である。 森みたいなところを歩いている時。 道の脇が少し斜面になっていて、下に川が流れている。 (アメリカで馬に乗ってると
大好きなおじいちゃんが亡くなってしまった時。 悲しみの合間、母と喋る。 母「やっぱり三途の川とか渡るのかなぁ」 私「あぁ確かに。死んでからも腕力求められるとか過酷だよね」 母「……え?」 私「……え?」 母「川を…渡るんだよ?」 私「川を…渡るんでしょ?」 待て待て。 どういう… え?……あ、もしかして川を横に見てるってこと? こんな感じ? 私、こういうことだと思ってたんだけど。 三途の川が本当に存在するなら、 ボートを漕いで流れ着いた先に天国的なのが
表向きは物腰も柔らかいし謙虚であるが、 自分の奥深くにはエベレストもドン引きの高さのプライドが眠っている。 おそらく大変負けず嫌いである。 しかも負けず嫌いだから努力するのではなく、 負けず嫌いだから戦わないのである。 勝ちが確定していないと戦いたくないという性格。 真っ向勝負は遠慮したい。 負けたくない上に格好までつけたいのだから最悪である。 大学時代、放送作家の方の授業を受けた。 先生おすすめの詩をいくつか紹介された。穴埋めクイズ形式で。 朝一、少人数の授業のため一
学生の時、ダンスの授業だったか体育祭の入場行進の練習だったか。 「ここは真顔。真剣な表情で」という先生の指示通りにキリッとしたら、周りの子から「できる犬みたい(笑)」と言われた私。 当時の精一杯の決め顔が “躾の行き届いた完璧な犬” と… 舐められないように周りをビビらせていきたいと思って、試行錯誤を繰り返している。 道端や駅ではわざと目を細めてミンティアを食べ(ガム噛んでるみたいに見せたい)、通常の3倍くらいアゴを上げている。 こりゃアウトレイジに出ていても違和感な
ずっと人に言ってこなかった仕事の楽しみ方がある。 私はフジテレビで放送された唐沢版の「白い巨塔」が大好き。 好きすぎて、あれはドラマというより芸術作品だと思っている。 周囲に白い巨塔のいいところをちょっとだけ話してみたら結構引かれたことがある。 まだ1話目の冒頭2分までしか話してないんだけど…。 オタクというより変態に近いとのこと。 放送当初は小学生だったので周りで観た人が全然いないこと、少し興味があるという人に話しても解説に熱が入りすぎドン引きされることから、このドラ
頭が良いと思われたいので、私は相槌を打つのがとても上手である。 話を理解していると相手から思われるが、誤解である。 実はよくわかっていないことの方が多い。 見栄っ張りな私だが、その見栄は往々にして崩れたりもする。 些細な事から暗闇ボクシングというものに通っている。 暗いスタジオで派手な照明と爆音の音楽に合わせ、筋トレしたりサンドバッグを打つというものである。 あまりの楽しさに、家でも思い出しながらシャドーをやったりしていたのだが、ある日、終わった後じわじわと肋骨が痛くなり
好奇心旺盛にもかかわらず、全然冒険しない。 人生のスピードが遅いのはきっとこのせいだと思う。 世の中に食べてみたい物はたくさんあるのだが、 一度食べておいしいと思ったものを繰り返し食べる習性がある。 食べたことない物。 絶対に新しい「おいしい」が見つかるのに、 前に食べた、「あの時のおいしい」を何度でも味わいたい。 特にハンバーガーに関してはそれが顕著に表れる。 小さい頃にマックで食べたチーズバーガーがすごくおいしかった。 それ以降、マックで注文するハンバーガーは決まっ
「こうなったら幸せ」から逆算していけば、今やるべき事が見えてくる。 どうなるのが幸せか。 どうしたら自分がハッピーか。 人にはそれぞれの幸せがあって。 幸せ幸せ幸せ… 私にとっての幸せって。何。もうわからない。 周りには情報が溢れ、経験も知識も徐々に増えてきたのに、それとは逆に自分自身はどんどん見えなくなる。 ロールモデルを見つけるといいとか、理想の自分を考えろとか、もううんざりだった。 そんな中、夢中で観ていた「笑う犬の冒険」というコント番組を思い出す。 生まれて