シチューごはんは自由の味。
昨日、YouTubeを垂れ流していたら、ゆる言語学ラジオの派生番組
”ゆる音楽学ラジオ”が流れてきた。
聞こえてきたのは音楽とは全く関係のない「ごはんに合わないおかずランキング」を紹介するといった内容であった。
私はこの二人のこういう「人を傷つけない」「くだらないことを真剣に考える」ところが大好きだ。
番組の冒頭でホワイトシチューがごはんに合うかと議論しているのだが、二人とも合わない(黒川君はそもそもホワイトシチューが好きではない)という見解であった。気持ちはわかる。
そして、番組を聴いているとふと昔のことを思いだした。
シチューごはんとの出会い
私が、シチューごはんの存在を知ったのは”ザ!世界仰天ニュース”という番組の”仰天チェンジ”という企画であった。
当時私は小学生、わが家ではシチューはフランスパンと一緒に食べるという決まりがあり。白米と…など想像したこともなかった。
おそらく見え張りの父がそうしろと言ったのだろう。
しかし、私はみてしまったのだ。
100kg超えの大人がシチューをごはんにかけて嬉しそうに頬張る姿を。しかも、一人ではない ”何人も” だ。
そしてなぜかみんなクリームシチュー。
そこからシチューごはんに憧れるようになった。
”みんな、あんなに美味しそうに食べるんだ、きっと美味しいに決まってる。私もぜひ食べてみたい。”
しかし、一緒にテレビを観ていた父は「うわあ。まずそう。」と苦虫をかみつぶしたような顔をした。
母は同調するように「デブはみんなシチューごはん好きやなあ。」と揶揄していたが、彼らがあまりに美味しそうに食べるので、堪らず「…でもちょっとおいしそうやな。」と漏らした。
しかし、うちは父の絶対王政。
以後も食卓にシチューと白米が並ぶことはなかった。
私はシチューごはんに憧れを抱き大人になった。
はじめてのシチューごはん
大人になり一人暮らしをはじめた。
私はいい子ちゃんだった反動で、片っ端から法に触れぬ悪いこと(両親に怒られそうなこと)をするようになった。
煙草、酒、男・・・。
はじめのうちは、それらに触れるたび、自分は親の庇護下から外れて自由になったんだと実感したものであったが、やがてそれらが習慣化するにつれなんにも感じなくなった。むしろ煙草は美味しくないし、男はお腹いっぱいだった。酒は体に合っていた。
そんな不安定な20代前半のある日。
きっかけは何だったか覚えていない、たぶんほんの些細なことだったと思う。
急に「シチューごはんが食べたい!」という衝動に駆られた。
そこからは考える間もなくパジャマの上にコートを羽織り、近所のスーパーへ。急いで材料を買い込み、箱の裏のレシピ通りクリームシチューを作った。
そして、できあがったクリームシチューを思いっきりお玉いっぱい白米にかけた。瞬間、罪悪感や背徳感が一気に押し寄せてきた。
これが何年も憧れ続けたシチューごはんか!!
高鳴る気持ちのまま加藤大よろしく頬張った。
「・・・。」
憧れだったシチューごはんは、ぼんやりした味がしてあまり美味しくなかった。少しがっかりしたが、どこかで「やっぱりな。」と思った。
たぶん、好みでないことはなんとなく分かっていたのだ。
それでも憧れ続けたのは、私なりの父への抵抗だと思う。
父が拒否(制限)したシチューごはんを「自分の手で作り食べる」ことで父の支配から解放された気分を味わいたかったのだ。
もう一口シチューごはんを食べた。
やはり美味しくない。
あまりに期待外れの味に、無性に可笑しくなった。
ばかばかしい。
私は、もう十分自由だった。