術後4週
退院して家や外で過ごすことが多くなって病院がいかにバリアフリーな世界だったかと身に沁みて感じました。
足元で動き回る犬が怖くてたまりません。
2週間が経ち変化したことは多少なりともあるが、術後から数日の良くなり具合が異常であったので一日単位での劇的な変化というのはなかったように思いました。
これからは復帰までコツコツ積み重ねるしかないんだなとしみじみ感じました。
前回↓
経過
生活をしていく中で起きる痛みはほぼほぼなくなった。不便に感じることも日に日になくなっている。
同じ姿勢でずっと座っている行為とうまく寝返りが打てないことくらいがきついと思った。
前回と違う点は歩行時の安定感。
まさかこの年齢で、歩行時の安定感なんて言葉を使う日が来るなんて思いもしなかった。
初めの頃は遅いペースなら両足でしっかりと歩けるが、少しペースを上げた途端びっこを引くような歩き方になってしまっていた。
どうしても膝の可動域が足りずに左足を前に持って行くときに膝蓋腱のあたりが引っかかってしまう。
その部分は、まだ全く触っても感覚は戻っていない。その近辺を触っても感覚はない。
そこは脂肪体の部分で、ほぐすことで膝まわりがスッキリするとのことなので暇なときずっとほぐしている。
感覚がないため押していても気持ち良くもないし痛くもない。よくなっているかどうかも分かりづらい。
けどやり続けることで、これまで動きもしなかった膝のお皿に動きが出てきた感じがした。
難しいと言われている階段の下りも少しずつできるようになってきた。
前までは両手すりを使い体を少し浮かせながら右足のつま先でキャッチしてやっと降りれるという形であったが、今はつま先ではなく踵でキャッチできて、手すりをがっつり掴まなくても降りれるようになった。
本当に小さな変化だけど見逃さないことで日々成長、回復を感じとれている。
良くなっていると実感できるのが感覚的な部分が多く、膝屈曲の角度でしか「良くなっている度合い」が図れず、そこだけが心の拠り所になりそうになる。
だから1センチでも昨日より良くなっていないと気持ちが晴れない。
だからこそどれだけ小さなことを拾えてポジティブに持っていけるかが大事だと思った。
術後2週目を越えてから上半身の筋トレが解禁されたこともあり、筋肉痛を感じ朝を迎えることができた。懐かしいこの感覚。
今は何かしていないと落ち着かないし、やってる感のある筋トレが戻ってきたことが嬉しい。
徐々に次のステップへ進めている。
課題
一つ目は大腿四頭筋の筋力
大腿四頭筋=太ももの前の大きい筋肉。
大腿の上部はしっかりと力が入り筋肉の盛り上がりも見られるが、下部の膝に近い内側の筋肉が全くダメ。
どれだけ力を入れようとしてもうまく入らない。そして伝わらない。
逆足と同じように踏ん張ってもびくともしない。
そういえば手術前に「力を入れる行為なんてすぐにできる、逆にどうやったら力が入りにくくなるんだろう」と思っていた。
でも今は気持ちではわかっていても体が反応しない。15%ほどしか力が入っていない印象である。
二つ目は可動域
大腿の力入れと同様、ヒールスライドで踵がお尻に付くまで曲げることは余裕でできると思いこんでいた。
気合いでなんとかなると思っていたのに現実は厳しかった。
自分の場合は内側側副靱帯も縫っているため、可動域が出しにくいということもある。
曲げる時にその縫った部分が皮膚に癒着して突っ張ることで制限されている感覚にある。
普通に生活していたらこのような感覚は非常に分かりにくいと思う。簡単にいえば皮膚が骨に引っ付いていて一つの塊のようになっているような状態。
順調に良くなっている分、できることが増える。そしてそのできた分に対して課題が出る。
少しでもサボると膝は固まり可動域は取れなくなる。この可動域との戦いはかなり長期戦になりそうだ。
退院して久しぶりに愛犬に会えた。
覚えているか心配だったけど、犬は嗅覚が優れているらしく自分の臭いを確実に覚えていてすぐに尻尾を振りながら来てくれた。
調べてみると犬の嗅覚は、人間に比べて数千倍から一億倍ほど優れているという。
それはわかるに決まっている。年齢で言うとおばあちゃんの歳になったけどまだまだ元気で安心。長生きしてほしい。
記録を取っておくという行為は改めて大切だなと感じた。
もう負傷していたとき、実際どうだったかなんて忘れていることもあるし今見てもある程度違った思いを持っている部分もある。
特に怪我をした帰りのバスで取ったメモだったり、手術直後のベッドで寝ている時のこと、初めて歩くことができた時のことだったり。
振り返ると当時の自分はどんな心持ちで、どう立ち向かっているのか。その時の生の声でしかわからないこと。
今は何も変わりない日々だけど人に出会い、話をして影響を受けて、価値観や感覚は変わっていっているんだなと思う。
そして今感じていることが徐々にうまく言語化できているとなお良い。