やってないようで実はやっている

今日の午前の一時、やりたいことがなくなってびっくりした。

「気力がない」「やる気が出ない」とかではなく、何かをやろうという気が出ないというか。

そう、たとえば「仕事に対してやる気が出ない」となっても、本読みたいとかお茶飲みたいとか、何かしら別の「やりたいこと」が出てくる。

でも今日の午前はそういうのもなくてびっくりした。遊び的なことも、飲食も、寝転がることすら、何もしたくない状態で何だか心がうろうろしてしまった。
幸い午後には復活したけど。

でもそう考えると、私たちの日常って実は意識的にせよ無意識にせよ「やりたいこと」の連続なんだなと気づく。

一時よく相談されたのが「自分が本当にやりたいことがわからない」という話だったけど、それはきっと仕事とか趣味でもいいけど「形ある何か」、象徴的なものを目指そうとするから見えなくなっちゃうのだと思う。

やりたいことなんて誰でも毎日やってるのだ。

寝たくて寝る。起きたくないと頭では思ってるかもしれないけど、起きたくて起きて、食べたくてご飯食べる。出かける出かけない、家事するしない、内容はいろいろあれど、全部やりたくてやっている。

本当に何もやりたくなくなったら、人は動けなくなるから。

動いてる限りは実はやりたいことやってる。

あ、やりたくない時にも「やりたくない」をやってるかもしれない。

人間って勤勉だ。

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