ただいればいい、それだけでいい。
人と衝突すること、人に対して感じる違和感、人との不自然な関係性。モヤモヤしたり、イライラしたり、しっくりこない感じ。こういうものが出てくる時、原因は相手ではなく自分の中にある。突破口は結局、自分の中にしかないということは、わかってきていた。
そして、自分の内面と向き合うことで、その起きていることの奥にある自分の本当の気持ちが見えて。気づいて、認めて、解放してきた。
でもやっぱり一番近い存在である、家族やパートナーから受ける感情には根深いものがあって。何度も何度も何度も何度も、違和感と葛藤を繰り返してきた。手放してきた思いも、沢山あった。
でもその、何度も何度も繰り返しながらも、自分を見つめ直すことで、自分の中の頑なだったものが解放されていったのを、確かに感じている。軽くなっている。
大きな大きな、気づきのおかげで。
先日、深い深い部分にあった「1000%の幸せを受け取るのが怖い」という思いが出てきたことも、本当に大きな気づきの体験であり、大きな解放だった。
そしてまたそこから、大きな気づきに繋がる、感情が湧いてきた。
パートナーとの関係性において、自分の中にあるパターン。
「こうした方がいい」「こんなことしなきゃいいのに」と相手をコントロールしようとする癖。私がやってあげている、教えてあげている、どこかで「役に立つ私」をアピールしている。
その反面、パートナーの顔色を、伺ってしまう自分もいる。認めて欲しい・同意して欲しい・褒めてほしい・私の行為を正当化して欲しい。つい相手の承認を得ようとしてしまう癖。
「私がいて良かったでしょう」
「あなたがいないとダメなのよ」
おかしな共依存の関係、いつしか自分で作り上げていた。
でも実は、そこにあったのは。誰かに必要とされたり誰かを必要とすることで
「生きていていいんだ」
と、やっと思うことができる、自分の姿だった。
「生きていていい」と思われていることを、確信したくて。それを知りたくて、周囲を伺って、状況を伺って、人の顔色ばかり見て、常に緊張しながら生きてきた。人にとって私は、間違いなく必要な存在であると、認識してもらえてるかどうかを知るために。
生きていていいと、誰かに認めて欲しかった。
何かしないと生きていちゃいけないと、思って生きてきた。
役に立たないと、
いいことしないと、
しっかりしてないと、
ダメなんだって。
だって、自分が生きていていいのかどうか、確信がもてずにきたから。
でも
本当は
全然そんなことなかった。
ずっと、なかった。
一度だって、そんなこと、なかった。
それに、気づくことが、できたんだ。
そしたら
頭に色んな言葉が、浮かんできた。
何かしないと生きていちゃいけないと、思って生きてきたなんて。
よくもまぁそんなこと、考えついたもんだよ。
まったく人間は愚かで
可愛いものだよね。
そしてまたこんな言葉が、浮かんできた。
自分がここにいることに、理由もなにもいらない。
私はただ、ここにある。
それだけでいい。
心が動くことを、心が動いた時に、心が動くようにやる。
説明も言い訳も裏付けもデータも必要ない。
ただただ、ただただ。
いればいいだけなんだってこと。
やっと思い出した。
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