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どう思われるかこわい病

 人にどう思われるかこわい、ということをもう随分無意識にやって生きていると思う。ただそれを「こわいんだ」と自覚してからはそんなに経ってないような気もする。「人からどう思われるか」を意識して生きることが標準装備になってしまっていたからだろう、それこそ無意識のうちに。

 「自分を見つめる」ということに意図的になってから、自分は思った以上に人目を気にしているということに気づき、さらにその先には「人からどう思われるか」ということに対するこわさ、恐怖心のようなものすらあると知った。
 でもってその恐怖心は、ほとんど妄想でできていることにも気づいた。

 私がこういうことを言ったら、きっと人はこう思うのではないか。
 私がこういう人だと知ったら、人はがっかりするのではないか。

 失望されてしまう、のではないか。
 嫌われてしまう、のではないか。

 それが、こわかった。恐怖だった。

 でも全部「ではないか」という想像に過ぎず、私の頭の中で勝手に考えているだけのこと。でもすごく囚われていた。今だってきっとゼロではない。でも今はちょっと、気づいている。本当のところ、人がどう思ってるかなんてわからないのに「ではないか」を恐れて行動を制限してしまうのって、意味ないかもということに。

 長いこと「どう思われるかこわい病」の方にいたので、それ妄想ですよと言われても、なんだ! そうだったのか! と、直ぐに何も感じなくなるわけじゃない。でも気づいた今から、少しずつでも目を覚ましていく、あ、これただの妄想だって。
 人として気持ちよくつき合うマナーとしての気遣いはある程度必要だと思う、でも過度の「どう思われるかこわい」レベルの神経の使い方はそれこそ病だと思うので。
 そんなの飛び越えていく。

 離れていこう。
 目覚めていこう。

 人にどう思われるかより、自分の正直な表現の方へ。

 飛び越えていけ。


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