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自分を生きる

2020年、コロナの影響で様々なことが強制停止状態になって、改めて自分を深く見直すことができたと思う。自分の原点。原点回帰。思い起こさせられることが本当に多かった。

そう、実際その影響を強く感じ始めたのは春から初夏の頃。でもその頃はまだ、あくまで「今までの延長」で何かできることを探した。何かできることはないかと躍起になった。でもなかなか、形にすることができなくて。

そんなことを繰り返したら

「本当は自分は何もしたくないのだ」

という所に行き当たった。

何もしないこと。
何もしない自分を、許すこと。

そう、それまでずっと「何かしなくては」存在してはいけないと思っていた。お金を稼ぐ、仕事をする、働く。何か社会や周囲の役に立つようなことをすることで、存在を認められるんじゃないか。

そしてその根っこにあったのは

「何か誰かの役に立つことをすることで「生きていていい」という許可をもらおうとしていた」

そんな自分の姿だった。

だから逆に、何もしない自分、何もできない自分、何の役にも立てない自分は価値がない、生きていてはいけないと。

そんな観念を、深い部分で持っていた。

だから、生きるためにきっと、必死で「何かしなくては」と思いながら来た。

本当に大きな衝撃だった。

そして、そんな生きづらさを抱えたまま、よくこの年まで生きて来たねと、自分を労るような、気持ちにもなった。

そう、生き続けていることって。
実はすごいことなんだなって。

自分を生きる、ということは。

いかに自分がどんな観念を持って生きていたかに気づいていくこと。

好きな部分も、嫌いな部分も、ただ単にそういうことだと、受け止めて。

目を背けずその存在を知ること、認めてあげること。

そして、外からもたらされた「自分以外の価値観」を手放すこと。

それ本当に、自分が望むこと?
それ本当に、自分が心地いいこと?

自分にとっては、何が大事で、何が大事じゃなくて。

自分にとっては、何が喜びなのか。

表面的ではない、深い部分からの望みを知ること。

熱くなる体
震えるような思い
込み上げてくるもの
沸き起こるもの

確かに体感することができる、内から来る深い深い感動のようなもの。

それをいかに味わっていくか、

比較も批判もなく、ただただ、自分の心の動く方へ。

何の制約も要らない。

常識も前例も関係ない。

自分という基盤の上での、本当の自由を生きる。

面白がって。

それが自分を生きるってことじゃないかと、思っている。

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