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泣かなかった。

父が亡くなって、五週間が経とうとしている。

毎日泣き明かしているわけではないけれど、
今もまだやっぱり寂しくて、
美味しそうなものを見かけたりすると、
食い道楽だった父を思い出しては買ってあげようかな〜と考えて、
もう居ない事実を思い出して涙が潤んだりする。
そんな日々を過ごしている。

父の死に対して色んな方からお悔やみや励ましの言葉を頂いた。
その中で、ほとんどの人が伝えてくる一文があった。

「お母さんに寄り添ってあげてね。」

母は、父が危篤の時も亡くなった時も仮通夜もお通夜もお葬式も、
ただの一度も泣かなかった。

元来自由奔放で、
透析を始めてからも不摂生は改めず好きなものを食べに行き、好きな時間に寝起きして、
遊び回り、
寝たきりや延命治療を嫌がっていた父だから、

麻雀中に倒れて苦しまずに逝けた事は、
本当に本当に父らしくて良い人生だと思うし、
私自身も寂しさはあるけども悲しさはあまり強くはないんだけども。


それにしたって母は泣かない。


夫婦仲が悪かったとか、
自由奔放な父に振り回されていた訳でもない。

透析への送り迎えも、面倒ながらも嫌な顔せず(良い顔もしてないが)
していた母なのだけれど、


…思えば、妹の死の時にも泣き顔を見なかったように思う。

私は、
母は人前であまり感情を出さないだけだと思っていたのだが、

直接母に聞いてみて驚いた。

母は妹の時もそれ程泣かなかったらしい。


「お母さんサイコパスなんかもしれん。
別に悲しくない。それよりやる事が多くてそれどころじゃないのよ〜。」

私の寄り添いなど必要ないのだ。

妹の時も泣かんかったの?と
初めて尋ねてみると、

「妹の事はね、実は今でも腹立ってるんよ。
自殺なんかして、と思ってるから泣いてもしょうがない。」

何度もリストカットをして、母を困らせた妹。自殺未遂で警察から電話が来た事もあった。

そんな日々が終わった事に清々しているようにも見える母。

やはり母は何かが欠落しているのかもしれない。

父の遺品を整理している時に、
父がよく着ていた服を、
お葬式でも目いっぱい泣いていた父を慕ってくれていた子にあげようか、と私が言うと、

「そんなん欲しがる人おらんやろ!」と即答した母。

そんな母に、
「お母さんサイコパスなんやから普通の人とは違うんやから、泣いて貰ってくれる人もおると思うよ。」と言うと、
「それもそうね。」と笑っていた。

私と母はそんな事も言い合える関係だ。


母は決して悪い母ではなかった。

抱きしめたり言葉で伝えたりのスキンシップは無く、
愛情溢れるタイプでは無いが、
何一つ困る事は無かった。

いろんな手料理も作ってくれたし、
寒くなればお布団を暖めていてくれた。
服を汚しても叱ったりせず自由に伸び伸び育ててくれた。
私の受験や資格試験の時なども、何も聞いて来たり応援したりはしないけれど合格した後に「受かるって信じてたよ、頑張ってたから。」と言ってくれるような母だ。


母は(分かりやすいタイプの愛情表現)がとてつもなく下手なのだ。

衣食住を整え、見守ってくれる事、それ自体がすでに愛情だという事、
それに子供自身も気づかなければいけない。


以前、何かの記事で書いた事があると思うけど、妹はそんな母から(分かりやすい愛)をずっと求めていたのだと思う。

妹も母に似て、頑固で客観性がない。

手首を切る度に、あなたの命がどんなに大切か、を母が伝えてあげていれば。

静かに溢れている母の愛情を、妹がもっと受け取れていれば。

お互いもっと認め合えば、歩み寄れば、
理解しようとすれば、
母娘の結びつきを感じれたのかも知れない。


愛は、暖かな日差しでなく冷たい雨のような時もある。
その雨がどれだけ恵みを与えるものなのか、気付かなければいけない。

愛は、与える側も、受け取る側にさえも努力が必要なのものなのかもなぁ。

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