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はじまり1 2006年の出来事


これは2006年の秋 私に起きた出来事です

当時、 
私は人間関係にとても悩んでいて、心身ともにバランスを崩してて自分がとても重い状態でもありました。 

また家電製品のノイズや止まないラップ音、吐き気が常に襲ってくるような状態でした。
一日の大半が人間関係の恐怖・・・という日々でした。 


あまり詳しく書こうとは思いませんが、 
恥ずかしながら 
〃この人生を終わりにしようか…〃 と思うことも度々あるほど
余裕がなくなちゃっていました^^;。 


自分では払いきれないほどに積もってしまったエネルギー。

今思えば、あまりに余裕がなく正常な判断も思考能力も
極端に衰えていたのだと思います。

そのせいか、とある感情が強く襲い掛かるようになりました。


  ”クリアになりたい。”


  ”魂を磨きたい”

それは私が始めて抱いた、奥底からの強い想いでした。


また、その思いと引き換えに
32という数字が ひたすら脳内に浮かぶようになってきました。 


「30までに動き32までには形にしていなくてはいけない」 

という漠然とした想いが どこからか湧いてきました。

また、そろそろ本気で探す時期がきているという感覚も。

けれど なにを探せばいいのかは わかりませんでした。

”魂を磨きたい”

”32までに”

自分のなかに ひたすら浮かぶこの2つのキーワードを前に、


やがて私は、

少しずつ

〃自分はなにをすべきか?〃

と本気で考え始めるようになってゆきました。

生きることすら不安定な状態のなかで、


生きるために生きる目的が欲しかった想いもあります。
 
とはいえ、
”磨く”だとか”32までに”だなんて・・・
目的を探すにはあまりに漠然としたもの。


だから自分を少しずつ丁寧に みつめてゆきました。

当時28歳。 

30まで2年。 

32までは4年。
 

それまでになにを形にしてなくちゃいけないのだろう…。 

それ以前にこの積もり積もったエネルギーはどうしよう…。

そんなことをポツリポツリと考えながら、


<小さな頃から 変わることなく私が持っているもの>


を自分に問いかけ続けました。 

しばらくそんなことを考えているうちに


ひとつの疑問が 沸き上がってきたのね。


それは、

申し訳ない程度とはいえ 何故”感(勘)の良さ”があるのだろう?

という疑問でした。

申し訳ない程度の霊感・・・とでもいうべきものは、
子供の頃からありました。

それは思春期時から強くなり

寝ている時に体をべたべた撫でるように這ってきたり、下へ下へ引きづり降ろされそうになったり…といったことばかり。

思春期からの私は、精神的にも不安定が続き、摂食障害にも悩まされ内臓もぼろぼろでした。

生理も半年近くこない時がざら。
お酒に溺れた時期もあれば、もっとひどい状態の時もありました。

外に出ることもできないような日々もありました。

それが変わったのは長男を妊娠中。


長年を妊娠して間もない頃、私は妊婦さん特有の情緒不安定とは説明できないほどの、不安定状態にありました。


自分で自分が全く制御できないようになり、
記憶の喪失や意識の喪失。

1人になると自分のコントロールが全くきかず、
道路へ飛び出そうとしたところ腕を捕まれ我にかえる、
夜中フラッと外に出てふらふらしているところを警察官に補導される……といった具合。


ひどい時には、自らがお腹を殴ってもいることもありました。

なにより守りたいお腹の子。愛おしい子。


なのに、私の記憶は時に失われ時に意識は消え、


こうした我が目を疑う行動にでるのです。

自分が恐く、お腹の子を守るのに・自分がただ生きるのに、必死でした。


産婦人科の先生に相談し病院を紹介してもらっていろいろな検査をしても、原因は不明。

入院だけはしたくなかった私は、旦那に常に側に居てもらい
夜はお互いの腕を紐で縛って寝ている始末でした。


悪夢は毎晩続きました。
そして毎晩言われるのです。
「罪を償え。お前は出産をし生きることなど許されない。幸せになることなど許されない」
得体の知れない存在が毎晩夢のなかで語るのです。

その恐怖から、安心して寝ることもできませんでした。

ひどい自己嫌悪。
こんな状態で お腹の赤ちゃんを無事産めるかという不安。


私の精神的なものが伝わり
今の自分と同じ精神的不安定を持って産まれさせてしまうのではないか
という恐怖。

どうしていいのかもわからずに 妊婦8ヶ月を過ぎた頃、
私達夫婦に
ひとつの出逢いがおきました。


それは

キラキラと金色の光を放つ1人の女性が
電車から降りて歩いてきたことがきっかけでした。


駅構内がまぶしいくらいにキラキラしていて、
当時オーラなんて知らず&見たこともなかった私は、
ビックリしながら その女性を見つめていました。


はっきりとは覚えていないのだけれど、
私は多分 その人に声をかけていました。

女性は そんな私に優しく応じてくれ
自分は霊能力者としてテレビの裏方でサポートする仕事をしていると
教えてくれました。

その女性の隣には、漫画家さんが一緒に居ました。

偶然にもその漫画家さんの本は、
私が小学校時代に読んでいたものでした。

そんな奇遇から話は盛り上がり
同時に妊娠してからの私の不安定な状態の話を聞いた二人の女性は 
私達夫婦が住んでいる 小さい空間のマンションへ来ることになりました。


狭い
私達夫婦が住む空間へ辿り着くと
数時間前に出逢ったばかりのふたりの女性は
他愛ない話をしながら、
時折無言になったり
部屋中を見渡したりしていました。

そんな感じて楽しい時間を数時間過ごし 私達はお別れをしました。

ビックリしたのはその後。


部屋に戻ると 全く別部屋のように空間が澄み渡り、


翌日から あれほど悩まされた諸症状が消えていました。


以後私には
以前のような霊的現象が起こることもなく

変わりに かすかに人のオーラやチカチカする光が見えるふうに
変わっていきました。


もうひとつ

自分をみつめるなかで湧き上がってきた疑問がありました。


それは

とある巨大な光・・のことでした


その光との遭遇は 
次男を出産して間もない頃だったと思います。 

突然 呼吸が止まったかのような感覚が襲い 
瞬時に肉体の感覚が消え
果てしなく広がる 無の空間 へと
佇んでいることに気づきました


そして 私がみたもの。

それは想像を超えた
それを体験するまでは、想像することも不可能な
想像を絶する
巨大な 巨大な ひかりでした。

その圧倒的な光は、
遥か遠い その場所からでも 
瞬時に 私の思考 五感・・・ すべての感覚を 静止させてしまいました。

なにも考えることができませんでした。
ただただ・・・感じるだけでした。


想像の域を遥かに超えたその光は、
なにを語るわけでも
なにをするでもなく、
ただゆっくりとゆっくりと存在し

そして
ゆっくりと
私の方へ向かってきました。

幾重にも 幾重にも 押寄せる 至福の波 は
私を 完全な恍惚状態へとさせ、
想像を絶した 内的喜びを 与えてきました。


静寂な中に とめどなく襲ってくる 至福の感覚は
崇高な輝きは 
私のなかの あらゆる詰まりを 瞬時に昇華させ、
それを体感しながら
自然と溢れ出る 至福の涙と共に 両手を ただ静かに合わせていました。


その光に抱かれることを強く望み

その光に抱かれる瞬間を待ちながら。

しかし、
その巨大な光は 私を抱くことはしませんでした。


私の望みは無視され

光は 私の目の前を ゆっくりと通り過ぎていったのです。

そうしてしばらく後、


私は涙を流し手を合わせたままの姿で


私は見慣れた我が家の部屋に 立っていました。


強く残る至福の感情はしばらくの間私を包み、


私は声も出さず 涙を流し続けました。



これ以上 その光のことについて、
詳しく書くことはできません。


どう書けば、表現すればいいのか

その術が見つからないからです。

ただひとつだけ書くとすれば、


それは

すべての光であった

ということだけです。

それが本当に”すべて”なのかどうかはもちろん判断のしようもありません。
ただそう表現することしか・・できないのです。


そして2006年のあの時期、
私の心は再度
あの時遭遇した巨大な光へと向き

「なぜ私は あれを体験したのか」
「なぜ私の望みが無視され 光は私を抱いてはくれなかったのだろう」
「なぜあの光はこの地上に姿を現してくれないのだろう」

という強い疑問が 湧き上がってきたのです。

そこには愛する人から置き去りにされた幼子のような悲しみの感情も
含まれていました  


そんな思いのなかで
1ヶ月・・・2ヶ月・・・と月日は過ぎてゆきました。

疑問が少しずつ増えていくなか、
その頃の私の内部で 微かな変化が現れていきました。

ひとつは、お肉が食べられなくなっていったこと。


ひとつは、くよくよしなくなったこと


ひとつは、小さいけれど確かに体のなかに現れた、金色の光でした。


なにより、自分を・魂を磨きたいという強い強い思いに駆られていました。

 

    つづく

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