向き合い2 2006年の体験記録
https://note.com/ank2660/n/n96f84fde4427
向き合い1の続きです。
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前回のような出来事に襲われどちらを信じていいのか混乱した時も、
そうでない時も、
声は答えを与えてくることはありませんでした。
代わりに、執拗に言われていたことが
「己をみよ(心をみよ)」
「これからはサイキックではなくスピリチュアルの時代となる
これからは真の愛の時代にはいる
サイキックとスピリチュアルは異なるものだということをしっかりと受け止めよ
サイキックなことに捕らわれるでない 」
という2つの言葉。
これを理解するのに、多少の時間が必要でした。
なぜなら、理解するには私が
自分自身と向き合わなければならなかったからです。
そしてある意味、ここからが本番でした。
湧き始めた疑問と、自分の心のなか。
いろいろな想いが交差してゆく。
想いが交差する度に 自分の内側を見つめてゆく。
その第一歩でした。
数ヶ月前から突如沸き起こったさまざまな現象や体験は、
たくさんのことを私に教えてくれるものでした。
自らのルーツを知ることは、私たちがいかに愛され守られかけがえのない存在であるかを教えてくれるでしょう。
自分を知ってゆくことは、よりスムーズな流れを促してくれることでしょう。
そうしたたくさんのキッカケを私達に教えてくれるのは確かです。
しかしそれらを知ることと精神性があがることは別だということも、教えてもらいました。
<結局私はどうしたいの?、どうなりたいの?>
その疑問の答えを求め
また
こうした体験・経験と共に人格・精神性をあげてゆくためにも、
私は自分と向き合わなくてはなりませんでした。
それは自らの力で、
心をチャンネルにし
ただ静かに静観してゆく行為でした。
・・・
・・・
・・・そしたら、あるわでるわ
そこには、当初あれほど恐怖し 拒絶していた怪奇な現象に対し、
いつの間にかそうした現象に依存し始めていた私の心があったんです。
また、<能力>という言葉に執着していた自分の姿も。
答えを求め彷徨う、愛されたい自分。
自分の人生をコントロールしたがる小さな自分。
そしてすべての奥に繋がる、私の弱さ。
人はなにかと執着したがるものです。
私もまた然りです。
こうした現象に合う日々のなかで、私のなかには依存と執着が芽生えていました。
それは人の弱さであり肉体の持つ本能です。
だからこそ、人間になる価値があり醍醐味があります。
同時にそれを超えられるたくましさも また兼ね揃えているのが人間。
私は、心と向き合うことで依存と執着の芽生えに気づいたわけです。
そこからは なにかを得たら、なにかを手放す。
その繰り返しでした。
<得る>ことに慣れ親しんでいた私にとって、
<手放す>を自らの意志で受け入れるということは
容易なものではありませんでした。
弱さと真正面から見つめ合うときは、ただ静かに。
そしてその奥にある自分の姿を見失わないようにしてゆきました。
お金が欲しい…
家が欲しい
周りからすごいと言われたい
もっと感じるようになりたい
認められたい
〇〇がしたい
○○をもっと知りたい
まだ足りない
まだ必要
もっと欲しい
愛されたい
………沢山ありました。
でも
でも
、
それを望んでいるのは、
私の寂しさ
私の見栄
私の不安
私の支配欲
私の・・・
自分と正直に向き合い続けました。
そうこうしてしばらく後、
私のなかには迷うことない 真っ直ぐな思いが確立されていたのね。
私は
ただ…あの時の光の雫になりたい。
私が望むのは、ただそれだけ。
私が純粋に望んでいること
求めていることは
この星の平和と幸せ。
だからあの時みたあの光のほんの小さな小さな雫でもいいから、それになりたいんだ。
https://note.com/ank2660/n/n80ced719fcb8⇐はじまり1 2006年の出来事
だからもう迷わない。
誤魔化すことはなによりしたくない。
すべては、必要ならば与えられる。
それを信じることにしたんです。
だから、全部手放し「私」を明け渡すことにしたんです。
この先与えられるものが
たとえそれがどんなものであろうとも、
受け止める覚悟と決意をしました。
私が求めるのは、ただひとつ。
だからそれ以外の、
この数ヶ月に起きた出来事、変化、得たもの、
それ以前も
なにもかも
すべて失ってもいい。
<自分はなにをすべきか>
その答えを求める自分も ぜ~んぶいい。
未来もなにも、ぜ~んぶいい。
ぜ~んぶ ぜ~んぶ、いい。
ぜ~~~んぶ、もう「私」はいらない。
ある意味ここで初めてポジティブ・シンキングになれたのかも。
そしてそのことを伝えたのね。
((;゚ー゚)ガクガクブルブル(直前まで実はちょっと震えてたりして/笑)
「私はすべてを手放します。
私はすべてを受け入れます。
それがどんなことであろうとも
私は手放し、受け入れ
歩いてゆきます 」
それが、私の出した答えでした。
つづく