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これはつまらない物語でした
わたしはヤマアラシの交尾の動画を観ていた。
売れない舞台女優を続けることに限界を感じてわたしは人生をやりなおすことにした。
選んだ第二の人生は作家だった。
三年前に純文学を書いて応募し運良くデビューしたが、まったく話題にならず初版五千部で書店から姿を消した。以来、その一冊を片手にわたしはなりふり構わず営業をかけ続け、アプリゲームのシナリオを書いたり、小劇場の脚本を書いたりして、ほそぼそと作家の仕事を続けているが、残念ながらまったく稼げていない。生活資金のほとんどは週五日で働いているコンビニエンスストアのアルバイトでまかなわれている。
三日おきくらいの頻度で、実家の父親から電話がかかってきて「お前はまだ売れないのか」とせっつかれる。うるさいな、わかっているよ。わたしだって本当は作家一本で食べていきたい。日本語がたどたどしい外国人留学生のアルバイト仲間にイラッシャイマセを教える毎日からいいかげん抜けだしたいと思っている。
小説を書いて編集部に持ち込みをすると「面白くない」の一言で突っぱねられる。賞に応募したら、落選通知とともに「面白くない」と辛辣な総評がくる。なのでデビュー作以降、書籍が出ていない。せめて身内だけは褒めてくれるだろうと友人に読んでもらっても「面白くない」と言われた。我が子が可愛いはずの親にまで「面白くない」と言われる始末で、つまりわたしの指から生まれるものは常に面白くないらしい。
いよいよわたしの物書きとしての人生は煮詰まった。面白いとはなんだろうか。
せっかく東京に住んでいるのだからとネタ探しに東京の端から端まで自転車をこいで冒険したりもした。マイ自転車が盗まれただけだった。
疲れた。こんなのぜんぜん、面白くない。
今日は動物園の飼育員さんに、なにか面白いことはないかと尋ねてみたら、ヤマアラシの交尾は衝撃的で面白いと教えてもらえた。欧米では定番の面白いものらしい。なるほどそいつはいいとわたしは帰宅してすぐにヤマアラシの交尾の動画を観はじめたのである。
針だらけの体のヤマアラシ。オスがメスの尿を嗅ぎまわる。メスは不機嫌そうに座っている。なんだ、喧嘩でもしたのかと思っていると、突然オスが歌をうたいはじめた。交尾といえば一般的には陰茎を膣に入れるという認識だが、なんとヤマアラシのオスは愛の証としてメスの頭から足先までこれでもかという量の尿をぶっかけるのだ。イカれている。わたしは笑えなかった。しかし欧米ではこれが面白いらしい。
ますます面白いということがなんなのかわからなくなってしまった。
すると電話が鳴った。もはや定番の、父親である。
「まだ売れないのか。お前は舞台女優をやっていた時からそうだ、なにもかも中途半端だから誰からも――」小言がはじまったので、わたしはすこし苛立って遮る。
「書いてはいるよ」
「女優だろうと、作家だろうと、売れなきゃ意味がないだろ」
「なによ。わたしの書いたもの、ちゃんと読んでもくれないくせに」
「お前の書くものは難しすぎるんだ。水戸黄門とか暴れん坊将軍みたいにちょっと読んだだけで展開がわかって、面白くて、わかりやすい話を書けばいい」
「そんなのもう世の中にはいっぱいあるよ」
デフレが長くつづいている。お金はないけれど、ものが豊富な時代だ。読みものが書店の棚に並べきれずにあふれているこのご時世で、わたしが書いたつまらなくてくだらない小説なんか、面白そうだと手にとってもらえるわけがない。
「……だいたい、面白いってなんなんだよ」
わたしは父親に聞こえないようにもごもごと呟いた。
待てよ――。と、ふと思い付く。逆に考えてみてはどうだろう。
いっそのこと超絶つまらなくて、くだらないものを書いたら面白いんじゃないか。
そういえばすこし前にとある作品が「こんなものを作ってすみません」と謝罪会見をして話題になっていたじゃないか。漫画の実写化で、誰もがまた実写かよって飽き飽きしているのに何故か注目をあびていた。
わたしは父親からの電話を適当に切って、友人たちに片っ端から連絡をとりまくった。
「ねぇ、アンタの人生で最高につまらなかった出来事を教えて!」
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