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秋田と わたくし
生まれた場所 秋田県田沢湖。
18年過ごして、30年離れて
今また12年を過ごしている場所。
何もないみたいに、住んでいる人は言うけれど、
いったい何に対して「無い」というんだろう。
無いもの…
若者。
にぎやかさ。
便利さ。
いつでもなんでもたくさん買える店。
けれどね。
無い無いと言いながら、たくさん持っていることを
地元民は知っている。
無いなら無いで暮らしていることも
日本の中でも誇れる自然や産物を持っていることも。
「無い」のは照れ隠し。
それをどう誇っていいのか、そもそも誇るなんてことをしていいのか
この土地の人たちは やり方を知らないように見える。
「いやぁ~うちはすごいんですよ!どこにも負けませんよ!」
の一言が言えない。
そう言える明るい気質の他県民に、
自分たちの日本一が追い抜かれていくのを横目で見ながら。
私も帰ってきた当初は、そして今でも少し
都会のにぎやかさの中に帰りたいと思う。
休みになるたび、盛岡や秋田に出かけてしまうのが証拠。
それでも私の町を、住んでいる場所を
大事に、誇らしく、叫びたい気持ちもある。
どっちの面を持っていても、それが私だし
人格形成も思考の教育も、私は東京暮らしの中で培った。
そして曲折を経て、今住むこの場所が大好きなのも私。
寒いし雪降るし仕事ないし陰湿だったり意地悪だったり
言葉にしろやー!と思うことも果てなくあるけれど、
田沢湖の碧(あお)さや、駒ケ岳の雄姿や、温泉の気持ちよさや
食べ物の豊かさや、人々の黙々とした営みと照れたような人付き合いは
大大ダイスキ♡だったりする。
そんな中でときどき私の心をぎゅ~~~っと占めるのは、とても嫌な、
でも高い確率の推測だけれど。
あと30年したら、今私の住んでいる場所は廃屋の通りになっているだろう。
もちろんこれは秋田の各所だけでなく、日本のあちこちで起こる現象だろう。
けれども今の営みを大切にできれば、私はそれでいい。
無理に地域を掘り起こし隆盛するなんてことはしなくてもいいでしょう。
自分のいない未来を誰かに託すなんて、身勝手極まりない。
せめてちゃんとすべての身仕舞いをして旅立ちたいものだ。
誰しも大好きだった所、生まれた所が衰退していくことには耐えられない。
けれどもこれは望む望まないにかかわらず、世界になんらかの手違いが
起きない限りは、今の日本ではどうしようもないことだ。
秋田県民はそれを心の深いところで分かりながら、
だからこそ黙々と、日々の暮らしを続けているように見える。
願わくば何兆分の一、何京分の一の確率の
「なんらかの手違い」が起こることを夢見ながら。
とまあ少し暗くなってしまったけれど、
今日も透き通るような秋田の空気を吞み、
その大気に冴え冴えとした彩を魅せるもみじ葉を目に焼き付けながら、
日本中の人に秋田の素敵さを見に来てほしいなあ、と連々思う
立冬の日でありました。