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【2日目】2021/2/10

今日も何とか日付が変わる前には更新できそうだ。

さて、トップに美味しそうなカレーの写真を配置しておきながらあれだが、私は家事が全般的に苦手だ。

上手くできないのも然ることながら、家事に対するモチベーションが全くと言っていいほど上がらない。

掃除、洗濯、炊事。どれも自発的に行いたいと思うのは2,3か月に1度という、とうに成人を過ぎた身としてはあるまじき気の持ちよう。

はじめは己の不甲斐なさを恥じた。

なんとか苦手意識を改善しなければ、そう思った。

そもそも、家事が苦手な根本的な理由はなんであろう。

検索窓に「家事 苦手意識」と打ち込み、検索をかけた。

家事に対してネガティブな感情を持つ理由がいくつも挙げられていた。よくもまあここまで列挙できるものだと、どこかで感心しながら画面をスクロールした。

どれも当てはまるようでどこかしっくり来ない、と思いながらいくつかのサイトを訪れスクロールを続けた私は、とある項目に目を留める。

「母親が不機嫌そうに家事をしていた」

これはなんだか心当たりがありそうだ。

その項目には、母が不機嫌そうに家事をしていたのを見て、知らず知らずのうちに『家事は自分を犠牲にする嫌なもの』という意識が刷り込まれていく、というようなことが書かれていた。

まさにこれである。どんぴしゃり。

我が家の母親は正社員でこそないものの、私が小学校に上がった時からパートタイムで平日は毎日9時ー16時で働いていた。

仕事が終わると溜息をつきながら洗濯物を取り込み、畳み、夕飯の支度に取り掛かる。これは社会人を経験した今だから分かるのだが、仕事を終えて家事をこなすのは相当に気力と体力のいるものである。

世の中の、仕事を終えた後に家事を行っている全人類に対して私は尊敬の意を記したい。かなり本気だ。

話が逸れたが、平日毎日家事をしている母の苦労も知らず、小学生の私は暢気に友人と遊び、時にはテレビを見、時にはゲームをし、放課後の時間を有意義に過ごしていた。

そんな私を見る母は、毎日のように私にこう告げた。

「暢気に休んでいられるなんていいご身分だこと」

もちろん最大の皮肉である。母のあまりにも冷たい表情と声色を見て、あまり良くない言葉と感情が向けられていることを悟った当時の私は、テレビやゲームを切り上げ、手伝いに向かう。

自発的にお手伝いをしなかったことに関してはもちろんこちらに非がある。しかし、卵が先か鶏が先か問題ではないが、この時の母の対応が、私を家事嫌い沼のさらに奥底に押し進めた。

嫌々ながらも私が洗濯を畳むと「変に畳むから皺ができた」「服を仕舞う場所が違う」。料理をすると「もっと細かく材料切れないの」「火加減がよくない」。食器を洗うと「汚れが残っている」「この置き方だと食器の水が切れない」。

家事をしてもしなくても、結局怒られるのである。

私が洗った食器をもう一度母が洗い直したり、手伝いを申し出ても「邪魔だから来なくていい」と断られる日も少なくはなかった。

最初のうちは我慢していた私も、年齢を重ね思春期に入る頃には家事をしている母には近づかないようになっていた。

これでは家事に対してポジティブな感情を持てと言う方が難しい。我が家の母親はやる気を削ぐ天才なのかもしれない。

兎に角、こうして家事嫌いな私が出来上がったわけであるが、いつまでも幼少期のことを引き合いに出して逃げているわけにもいかない。そんなことはとうの昔に気が付いてる。

果たして、長年かかって植え付けられた負の感情を克服することはできるのだろうか。


乞うご期待、、、?


(↓今回記事中に出てきたサイトを参考までに)


杏。SNS断ち2日目。

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