「あったること物語」 7 おとら婆ぁさ
おとら婆ぁさ
母の話では、彼女の伯母であり、育ての母でもあった人の名は とら。
おとら婆ぁさ と呼ばれていたそうです。
私の産まれる数ヶ月前に亡くなったそうで、会ったことはありません。
おとら婆ぁさは、がたいの大きな人でした。
女性にしては骨太く、背も高くて、いつもそれを気にしていたそうです。身を縮めるように 腰低く人に接する、穏やかな方だったそうです。
けれど、芯は強く とても霊感の強い人であったと聞いています。
「今日は、頬に 切り傷のある人が来るよ。」
彼女がそう言うと、本当にそう言う人が訪ねてくるのだそうです。
「どうして、分かるの?」
当時、子供だった母が おとら婆ぁさに いぶかしげに尋ねると、笑顔でこう返していたそうです。
「夢にね、見るとよ。」
戦争の後、おとら婆ぁさの一家は、大部分の農地や土地を没収されました。
けれど、もともと大きな農家だったらしく お米や野菜などを作っていて、日本中が飢えていた 敗戦後の食糧難の時代にも食べることに困ることはありませんでした。
それに、おとら婆ぁさを慕って、近所の人が 罠に掛かった動物や 釣った川魚などを分けてくれたのだそうです。
「今日は○○村に住む△△さんが、お魚をたくさん釣って 夕方にやって来るよ。」
朝、起きて来るなりそう言って、婆ぁさは みんなを急かします。
「お湯をたくさん沸かしておくれ。ご飯とお汁と、野菜も炊いて、夕ご飯を たっぷり用意しなくては。お腹を空かせた、お連れさんも一緒に何人か来るよ。うちに来てくれたからには、お腹いっぱい お米を食べさせて、気持ちよく帰してあげんといかん。」
戦後すぐの、だれもがお腹を空かせていた時代。
女丈夫とも言われた、おとら婆ぁさの この心意気は 今でも 私のあこがれであります。
困った人を見過ごせないのです。
朝からそう指示されて、母達は 野菜を採りに畑へ行き、かまどに 付きっきりで料理をしたものだと言います。
そして、夕方近くになると、本当に ○○村の△△さんが お友達と一緒に魚を持って訪ねて来るのだそうです。
「急に思い立って お邪魔してもさ、おとら婆ぁさの家に行けば、いつでも 炊きたての暖かい白ご飯と ご馳走をお腹いっぱい 食べて帰らるっ。」
来客達は、ふくれた腹をなでなで いつもそう言いながら えびす顔で帰って行ったそうです。
お振る舞いをして、人に喜んでもらうのが 何よりも好きだった おとら婆ぁさ。スマホもない時代、この能力は 大変役に立ったことでしょう。
©︎2023.Anju
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