「あったること物語」 3 おしょうろさん
おしょうろさん
夏がぎらぎら暑くなっていくと、毎年 母の実家へ行くことになっていました。
この日のためにデパートで買った よそ行きの服を着せられ、田舎から田舎へ。一時間の車の旅です。
お祖母ちゃんや叔母さんがこしらえてくれる ご馳走や、いとこ達と遊べるのを いつも楽しみにしていました。けれど、本当の目的は お墓や お仏壇にお参りすることだったそうです。
お盆と言う行事です。
お祖母ちゃんちの お仏壇は、我が家の金色のと違って、光沢のある茶色一色の仏壇でした。
「お祖母ちゃんちの仏壇、茶色いだけで、地味。」
私が言うと、
「なん言いよぅとね、うちはもともと武家の血筋やし。武家の仏壇は金箔やらで派手には飾らんと。」
憤慨したお祖母ちゃんは相変わらず、理解不能の なぞ呪文を 幼稚園児に言い放ちます。
祖母の家は、うちよりも田舎にありました。
一面を水田に囲まれていたので、熱を帯びた夏の風も一気に冷やされ、涼しい風となります。
「とみのくち から、良か風の 吹いてきよっねぇ。」
富の口とは、祖母がよく使っていた言葉で、開け放った戸から 涼しい風が入って来て、広い土間を一気に冷やしてくれる裏戸口のことです。
まるで天然のクーラーの様に涼しい風が入ってくるので、暑さ和らぎ、家事などの作業がはかどる 富の吹き込む口なのでした。
お祖母ちゃんの家は、築二百年を超す、茅葺き屋根の大きな家でした。
宗派は真言宗、弘法大師様をお祀りしています。
土地の風習なのでしょうか、この時期には 仏壇から 漆塗りのお位牌を全部出して 広い座敷の床の間に並べます。
それらのお位牌の前に それぞれ炊きたてのご飯や、なすびのお浸しなどの精進料理を ちまちまと、よそってお供えしていました。
本物のお料理がミニチュアのおもちゃのように、沢山のお椀や小皿に並べられるのです。
その様子は まるで、仏様たちとおままごとしているようで、わくわくするのでした。大人達が 粛々と行事を進めるのを ふすまの影からのぞき見、誰もいなくなるのを待ちます。
そしてこっそり座敷に忍び込むと
「どうぞどうぞ、お召し上がりください。お肉もウィンナーもなくて、ごめんなさいね。」
ひとり遊びをする私を見つけては、祖母は
「安寿がまた、仏様で遊びよっよ! お母さん、早う 連れ戻しなさい!」
すぐに 母を呼びつけて、座敷から追い払うのです。
戦時中、極寒の地、シベリアで捕虜となっていた祖父を この座敷で看取り、田畑を切り売りして、ひとりで家を守ってきた 気丈な祖母でした。そんな昔の話を私は知る由もなかったのです。
それは、一夜明けた 八月一四日の早朝でした。
「お父さん、これなに?」
親戚の集まった母の実家で、いの一番に起きたのは 私と父でした。父が玄関の戸を引き開けると、夏なのに寒いくらいに冷え切った、朝の湿った空気が流れ込んできます。
玄関の引き戸の隣には、階段の背がありました。
階段は普通、部屋の中から二階へと上がるものなので、私たちのいる玄関から見えるのは、階段の裏っかわ。
斜めにつきだしている、平べったい 背の部分でした。
そこに、大人でも梯子を持ち出さないと届かない高い所に、べったりと誰かの足跡が付いているのです。
左足、ひとつだけ。泥で足跡が付いていました。
五本の指もはっきりとした、大人の男のものでした。まるで、泥田んぼの中を ここまで歩いてきたような泥足です。
泥はしっとりと濡れて、まだ半乾きでした。
親戚など たくさんの人間が集まっている家の中に侵入して、夜中、天井近くに足跡をひとつだけ残す人がいるでしょうか?
「お父さん、これなに?」
再び問うても、父はただそれを見上げて、黙りこくったままです。
あってはならないものを また私は見つけてしまい、またまた 父を困らせているなという罪悪感で焦りました。
そうこうしていたら親戚達が起き出して、蜂の巣をつついたような騒ぎになります。
いとこ達は「あがんと、昨日 遊びよった時は なかったよねぇ!」、「なかった、なかった、初めて見た!」、「お化けやないと⁈」
「誰かのイタズラさ‼」
叔父達が、子供たちより 一段大きな声を出し 躍起になって否定します。父もその仲間に加わりました。
足跡は 黙って見下ろしています。親戚中が集まって自分を見つめ、ざわつくのを。
「なんば 騒ぎよんね?」
祖母が、かまどのある 奥の台所からゆっくりやってきました。私たち全員の朝ご飯を準備するため、暗い内から起きて働いていたのです。
その間にも、湿った泥の跡はどんどん乾いてきて、白く、固くなっていきます。
「扁平足やね……。」
祖母は それを見上げると ぽつりと一言、言いました。
「さぁ、あんたたち、ご飯の準備が出来とっよ! 顔は洗うたね? 手ば洗って、お味噌汁 運ぶの、手伝いんしゃい!」
祖母が ぴしりと そう言うので、大人も子供も 慌てて散りました。
「ヘンペイソクて、なに?」
顔を洗いに 小走りで洗面所へ向かいながら、物知りの姉の 優に聞きました。
「土踏まずがなくて、足の裏全体が べったりと地面に付いちゃうことを言うのよ。ちなみに、あんたは 扁平足よ。あたしは、土踏まずあるけど。今度、お風呂上がりに見せてあげる。」
顔を拭くタオルを持ってきてくれた母が言いました。
「亡くなった、あんたのお祖父さんも 扁平足やったとよ……。」
心に浮かぶだれかの面影を 懐かしげに見つめているようでした。
「お父さん、毎週土曜日は 街から牛肉を買ってきて、必ず すきやきを食べさせてくれたの……。戦争さえ、なければね……。」
戦争前、この屋敷は広い土地と小作人、お蚕さんで潤っていたのでした。
「おしょうろさんが、帰って来んさったとさい。」
いつの間にか、後ろに立っていた祖母が言いました。
おしょうろさん とは、この土地の方言で、正確には お精霊さん。
お盆に帰って来る、ご先祖様の御霊のことです。
お盆とは、会ったことのない家族、ご先祖様の帰ってくるとき。
祖母は お盆を迎えるごとに、朝には 沢山の小さな湯飲みに 緑茶を注ぎ、昼には 先ほどの精進料理を用意し、八月一六日には、小さな器に それぞれ 冷や麦を用意してお供えしていました。
冷や麦とは、そうめんの一種です。そうめんよりやや太くて、ピンクや緑色などの色つき麺が 白い麺の中に数本混じっています。
子供達はその色つき麺が大好きで、取り合ったり 分け合ったりして 楽しく食べていました。
「お盆の最後の日は、おしょうろさんと同じ食事、冷や麦ば、食べんばいかんよ。」
祖母は良くそう言っていました。
田舎のお盆が終わるのは、八月の一六日。その頃には 階段裏の足跡は、泥が乾いてぱさぱさポロポロと落ちていき、いつのまにか 消えて無くなっていました。
そろそろ富の口から 盆過ぎの乾いた風が入り、季節は秋へと移り変わって行くのでした。
©︎2023.Anju
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