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晴れときどきマサラ #16 What If...? 『アジアバグース!』で歌った若き日のこと
皆さんこんにちは! 楽しいインド案内人アンジャリです。不定期連載、またまた久しぶりの更新です。
26年前の録画テープ発掘!
人生、いつどこでなにが起きるか分からないもの。
10代のころ私はダンスに打ち込んでいて、将来はブロードウェイのミュージカルに出たいと11歳で決意し、小学生ながら人知れず英語を学んでいました(このあたりのことは日経『私の履歴書』風に書いた『やがてマサラ - 楽しいインド案内人が生まれるまで』にて)。
『やがてマサラ#9 マレーシア留学とインド映画』のなかで触れた「オーディション番組『アジアバグース!』に出場した」こと。思い起こせば26年前の1996年です。あまりにも昔のことで私自身もすっかり記憶の彼方でした。
先日、古い段ボール箱のなかのVHSビデオを処分しようとガサゴソしていたところ、このときの録画テープを発見! 我が家の液晶がおかしくなったポンコツTVで再生したらエライこっちゃ。
![](https://assets.st-note.com/img/1658673666742-BsIIeN5D3T.jpg?width=1200)
そこはガジェット大好きおばさんの私です。ビデオデッキからPCに映像を取り込み、無事デジタル化できました。うふふ。
現地語で歌うレア枠で出場
そもそもなぜこの番組に出場することになったのか。
1996年当時、私は東京外国語大学でインドネシア語を専攻する大学生でした。ダンサーになるには低身長、そして短い手足。ライバルたちのスラっと伸びやかなスタイルを見てはコンプレックスに苛まれ、大いに挫折感を味わって進学の道を選んだのでした。
でもまだ諦め切れてはいなくて、では歌手になろう!と密かにあちこちでオーディションを受けていたりして。
そんな私が大好きだったのが、アジア各国からの出場者が毎週競い合うこのフジテレビの深夜番組『アジアバグース!』だったのです。
日本ではサブカル的な深夜枠だったのですが、勝ち抜いて年間グランドチャンピオンになるとデビューの道が拓けるということで、インドネシアやマレーシアでは歌手の登竜門的な超人気番組でした。視聴率50%とか聞いたような。
当時まだ曙橋にあったフジテレビのオーディションでは、松田聖子さんの『赤いスイートピー』を熱唱。時代ですね(笑)
そのとき審査員だったプロデューサーさんが「きみ、せっかくインドネシア語を話せるのだから、現地語で歌えばいいじゃない?」と差し出されたのが、マレーシアの大御所歌手Sheila MajidさんのCDでした。
インドネシア語とマレー語は、ヒンディー語とウルドゥー語のようなきょうだい言語で、細かい単語や用法や発音の違いはあるものの、どちらかが分かればもう一方も理解できる言語なのですね。
What if…? もしもあのとき
収録は1996年3月30日、1か月分をシンガポールのテレビ局にて。プロデューサーさんやコーディネーターさん、ヘアメイクさんなどが日本から渡航し、各国から出場者がシンガポールに集まる。製作費だけを考えてもとても予算がかかっていて、いま考えてもすごい番組でした。
放映は1996年4月と5月。なんと1週目を勝ち抜いたわたくしは、月間戦にも出場しました。そしてこのとき、1点差でマレーシア人の14歳の女の子に敗れたのでした。
というわけで、2回分の放映を15分にまとめてみました。大っぴらに公開するわけにはいかないのでここだけでね✨
そうだ、エンディング曲”Kita Oonik”もちょっとだけ入れてみました。当時あまり聴いたことがなかった音で大好きだったんですよね。タイトルはKita(マレー語&インドネシア語で「私たち」)、Oonikはおそらく英語のUniqueからの造語で、「唯一の」というような意味。「ぼくら皆ひとりひとり違う、特別な存在」というメッセージが込められているように思います。映像でもマレー系、中国系、インド系の人たちが一緒に映っていて、アジアの多様性! という感じ!
敗れた相手の14歳の少女Chelsiaさんとは、楽屋で待ち時間にあれこれおしゃべりしたりしてとっても仲良くなったんですよね。この年の暮れに行われた年間グランドチャンピオン大会にも会いに行きました。
その後、1998年からマレーシアのペナン島の大学に語学聴講生として留学した私は、マレーシアにいるのになぜか連日インド人街通い。まんまとインド映画にハマり、以後、インドまっしぐら(笑)
当時お世話になったプロデューサーさんやADさん、せっかくいろいろ親身になってくださったのに、きちんとお礼を申し上げたのか、はなはだ自分に疑問です。若き日の私は不義理を重ねていて、つくづく、タイムマシンがあるなら叱りに戻りたい……。
そしてくだんのChelsiaさんどうしているだろう、と検索してみたら、マレーシアで映画やテレビで活躍する女優さんになっておられました! わーお!
Come singalong with me, Ladies!
— Chelsia Ng 伍家丽 (@ChelsiaNg) April 1, 2020
An An An 🎶#parody#doraemonparody#wanitacegahcovid19 #kamiwanitabukandoraemon#chelsiangmusic#singersongwriter#doraemon pic.twitter.com/A5TIRD9qNN
あのときもし彼女に勝ってグランドチャンピオン大会に出場していたら……? まだまだがんばって芸能の道を追求していたら……? もしかしたら、インド映画にはハマらず、別の道があったのかもしれません。
本気の人たちの前で
これより以前にインドネシアを旅したとき、バンドゥンという地方都市でたまたまローカルなのど自慢大会に出くわしたことがあって。そのとき、地方の一見パッとしない出場者たちが、歌い始めるとのけぞるほど鬼上手くてびっくりしたの。
『アジアバグース』はインドネシアでは超人気の国民的番組で、グランドチャンピオンに輝き大スターになっていった人たちがいます。グランドチャンピオン大会はもう、そんな人たちがあたりまえに競っていて、いやもうレベルが違う、ガッツが違う、パワーが違う。
だからここで敗退したのはあまり悔しくなかったというか、出場できただけで満足してしまったところはあります。そのあたりのツメの甘さが私が、なにをするにも中途半端で大成しない理由でもあります(笑)
やー、人生、なにがあるか、わからない!
トークの中で「なぜインドネシア語を?」と聞かれて、私の受け答え。
I like Asia, that’s all.
…なんだその雑な答えは! とツッコミつつ、このころは語れる中身がなんにもなかったし英語も下手だった。
ただただ、何者かになりたかったんだね。大丈夫だ、追い求めれば道は拓く。予想していた未来とは違ってもハッピーならええねん。
21歳、遠くになりにけり。48歳も楽しいよ! できれば体重はあのころに戻したいけど。
8月13日(土)は名古屋へ!
そんなわけで、紆余紆余曲折曲折なアンジャリですが、この夏は名古屋のイベントにてちょっとだけトークをしますよ。
インド映画に造詣の深い高倉嘉男(たかくらよしお)さんと、力士俳優としてサルマン・カーンとインドのCMに出演したり、インド映画『SUMO』に主演したり、キアヌ・リーブスさんの『ジョン・ウィック』最新作に出演している田代良徳(たしろよしのり)さんとインド映画トークをします!
お近くの方、ぜひお越しくださいね!
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