映画『ヒンディー・ミディアム』 現代インドのリアルすぎるリアル
登場人物が全員、リアルの知り合い誰かに重なる……というくらい「いまのインド」を絶妙に凝縮した映画でした、『ヒンディー・ミディアム』。娯楽大作の派手さはないけれど、役者のうまさと脚本の妙で楽しめる、重くなりすぎないコメディタッチの社会派作品。2019年9月6日(金)から全国ロードショー!
◆8/9(金)『シークレット・スーパースター』のフィルムランドさん配給です◆
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※背景説明以上のネタバレはありませんが予備知識なしに観たい方は鑑賞後がよいかもしれません。
英語力で格付けされる人々
内容よりも「流暢な英語で」話していることが話題になったりと、英語が話せるとエライという感覚は日本にもありますよね。
インドの場合、その感覚はより現実的、そして決定的。植民地支配されていた宗主国イギリスの言葉だったという歴史的背景からいっても、インド上流社会は常に西洋を見ているという点からいっても、英語力は階級そのものといってもいいでしょう。
インド上流層は母語としてのインド諸語は持ちながらも英語を第一言語として日常生活を送っているし、そのちょっと下の中上流層も、アカデミックランゲージとして幼少時から教育はすべて英語。また多言語国家インドでは、違う母語を持つ人々の間でのビジネスランゲージとしても、英語の位置付けは日本の見栄半分な英語賞賛と比べるとはるかに差し迫った事情があるといえます。
『インド人とマウンティング』でも書いた通り、私自身、初対面のマウント合戦や相手を黙らせたいときの威圧には、へたくそなヒンディー語ではなく英語を使います。ぱっと見、地方出身の少数民族に見え、下に見られがちな私がガンガン英語でまくしたてると、だいたいの相手は「ハッ」として態度を改めます。そのくらい英語の力が大きい社会です。
財力と階級のねじれ
そんなインド社会では、上流は上流たるために古くはイギリス、最近はアメリカで高等教育を受けるし、財力をつけ台頭し始めた中間層は、上流入りを目指して次世代の子どもたちに英語での教育を受けさせようとします。「英語教育そのもの」ではなく、「英語で行うあらゆる教育」を受けさせるというのが、英語が単なるお飾りではない点です。
私は多国籍企業でインド人と仕事をすることも多かったのですが、実際、もともとの地アタマのキレ具合、自己主張の強さ、そもそもが英語で行われる思考回路と、なにひとつ勝てる点がありませんでした。
初等教育からすべて英語で行う私立校は"English Medium"と呼ばれています。それに対し、ヒンディー語教育の公立校を"Hindi Medium"ともじっているのが本作のタイトル。
以前、商談に行った先の地方の名士が「お金はたくさんあり生活は豊かだ、私がほしいのは人々からの尊敬」と言い、あまり得意ではない英語での会話を嫌い、English Mediumに通わせている息子に私の相手をさせていたのがとても印象に残っています。あるいは、使用人をたくさん抱えた富裕層マダムが、娘たちをアメリカンスクールに通わせ「うちの子どもたちはインド訛りがないの」と自慢する一方、一代で財を築いたいわゆる成金のため、自分に教養がないことを大きなコンプレックスとしているとふと気づいたこともありました。
急成長するインドで財力をつけた人々が次に望むのは教養であり、社会的な地位なのだなという実感があります。
ちなみにEnglish Mediumとひと口にいっても実態はさまざまで、いわゆるガチガチの有名名門校のほかにも無数の中堅校があり、英語の質もバリバリのインド英語からインド色薄めまで多様です。
あくまでも外国人との接点が多い私の知り合い限定ですが、学力高めで詰め込み教育傾向の学校よりは、学力レベルはそこそこでも個性優先で自由度が高いアメリカン・スクールやブリティッシュ・スクールのようなインド色の薄いインターナショナル・スクールが最近は好まれる傾向があるような気がします。学費はべらぼうに高いですが。
下町の名士からその先へ
さてこの作品の主人公は、まさにそんな人々を代表するような中間層の夫婦。小さな仕立て屋を、自らの才覚で界隈一の婚礼衣料品店にしたやり手商売人のラージと妻のミータ、娘のピア。
冒頭の舞台はオールドデリー、インド最大のモスクであるジャーマー・マスジドが映ったり、知っている人には「ああ、それそれ」と分かるガチャガチャした様子が描かれています。向こう三軒両隣は夫婦喧嘩まで筒抜けになるような、他人との距離が無遠慮に近い下町暮らしです。
歴史ある一角なので建物は古びているけれど、暮らし向きはよく、なにかに不自由しているわけではありません。
そんななか、上昇志向の妻ミータは娘をEnglish Mediumに入学させると決意します。下町を愛しどこか呑気な亭主ラージに対し、少女時代に背中の開いたモダンなデザインの服を所望したことが象徴するように、妻ミータは生まれ育った下町を飛び出し、新しい世界を見たい、もっと先へ行きたいという人物。
しかし上流社会入りは甘くなく、下町の商売人という両親の立場が災いし、名門私立校へのお受験はうまくいきません。そこで思いついたのが、教育の機会均等を掲げて施行された法律による「留保枠」と呼ばれる、低所得者層に確保された25%の入学枠に不正に潜り込むこと。
一家は貧しい人々が住むエリアに引っ越し、身分を偽証して入学審査を待ちますが……。さて、お受験の行方やいかに?
同じデリーの異なる世界
冒頭の庶民の下町オールドデリー、その後引っ越した高級住宅街ヴァサント・ヴィハール、そして身をやつして暮らす貧民街バーラト・ナガル。
バーラト・ナガルという町は私自身は訪れたことはありません。デリーの地図を調べるといくつか同じ地名があるので、ここだけは架空の「貧民街」かもしれません。が、同じにおいのする町を歩いたことはあるし、オールドデリーもヴァサント・ヴィハールもデリーに実在し、私もよく知っている街。ヴァサント・ヴィハールは日本人の駐在員も多く住んでいるので馴染みのある人も多いと思います。
この作品ではどの場所もとてもリアルに描かれていると思いました。街並みも、人々の感じも。チャキチャキっとした下町庶民、取り澄ましたアッパーよりの人たち、食料を配給に頼るビンボー層。同じインドで、同じデリーで、まったく違う世界があることがよく分かります。
外国人の旅行者という立場ゆえ、私はシレッとどこにでも行って様子を垣間見ることができるけれど、この三者の当事者たちは普段は交わることはほとんどないのです。着るもの、顔立ち、話し方、すべて違う、でも同じインド人であるという模様を、観客という立場からぜひ見ていただきたいと思いました。
イルファーン健在
主人公ラージを演じるのはイルファーン・カーン(Irrfan Khan)。『スラムドッグ$ミリオネア』の警部役や『ライフ・オブ・パイ/トラと漂流した227日』、『インフェルノ』で見覚えのある人も多いと思います。個人的には 『GUNDAY』のクセの強い警部役が好きですねえ。
本作では、ビシッとスーツやライダーズ・ジャケットを着こなしたイケオジ姿と、頭に手ぬぐいを巻いたザ・庶民オヤジ姿を披露してくれていて、どちらもピタッとハマっていてみごとでした。やり手だけど奥さんにぞっこんでちょっとトボけた感じなどが本当にうまくて、シリアスになりがちなテーマのなかでコメディ要素を強めてくれています。
作中、ラージが商売人で、客を気分よくさせ付加価値をつけてモノを売ることに長けた人物という設定がものすごく効いてくる場面があります。そこの展開がみごとでした。
イルファーンは本作公開後の2018年に希少がんを患っていることを公表し長期療養中でしたが、先ごろ本作の続編の撮影に復帰したとのこと。よかった。
いいやつ of the いいやつ
そしてインド映画には欠かせない、主人公の隣にいる「いいやつ」。今回は貧民街の人情に篤い男シャムプラカーシュをディーパク・ドーブリヤール(Deepak Dobriyal)が演じています。"Tanu Weds Manu"(フェロモン熊男マーダヴァン主演のコメディですよ皆さん)や"Prem Ratan Dan Payo"(バジュランギのサルマンが王子様役のキラキラ物語ですよ皆さん)でも「いいやつ」を演じていた『いいやつ of the いいやつ』。
この人とっても男前なのだけど、ビンボー役もとってもうまい。漢気と悲哀と人のよさを余すところなく出していました。こういう人ほんとにいるんですよ、インドって。泣いた。
このシャムプラカーシュの妻トゥルシーを演じていたスワーティ・ダース(Swati Das)という女優さんも地味ながらとてもよかった。生き馬の目を抜く貧民街でのしたたかさと、弱い立場に甘んじなければならない諦めや悔しさが少ない出番ながら光っていました。
"Caring is Sharing"(思いやりとは分け合うこと)という言葉が作中に出てきます。持てる者たちが好んで使う耳に心地のいい(実際語呂もいい)言葉で、見えるところではそのように振る舞えど、内心そんな気はさらさらないことは私もときどき感じます。かたや、そんな言葉など知らないであろう持たざる者たちが、持たないなかから無理して分け合おうとする場面に自分が遭遇したこともあります。理不尽です。
校長はこの人でなくては!
忘れちゃいけない、名門校の堅物校長ローダー役にアムリター・シン(Amrita Singh)。私が大好きなサイフ・アリー・カーン(Netflix『聖なるゲーム』で大活躍中)の最初の妻で、ひと回り年上の姉さん女房だったんですよね。80年代にヒロイン役だった人。サイフはアムリターと離婚し、カリーナー・カプール(『バジュランギおじさんと小さな迷子』『きっと、うまくいく』のヒロイン)と再婚。このへんの話がいろいろ深くてですね……というのはさておき。
この校長の存在感、たまらんのです。ぜひスクリーンで。
あ、お受験予備校のちょっと鼻持ちならない女史もよかったです、ああいう人、いるいる、すっごいいる!
上昇志向ママはパーキスターンから
ラージの妻ミータを演じるのは、パーキスターンの女優サバー・カマル。数多くのテレビドラマに出演歴がある「ドラマ女王」だそうです。
お色気路線でも清純路線でもなく、上昇志向の教育ママという役どころにピタリとハマっていました。
下町の生まれ育ちを封印し、品よく、思慮深く、上流であろうとしていた彼女が気持ちのままに啖呵を切る場面がありまして。そのときの吹っ切れすぎてしまった感じに、それまで抑えていた彼女の相反する感情の葛藤を見てグッときました。
口先三寸はビジネスのうち
この先、本作とは関係ない話になりますので映画のことだけを読みたい方はこのへんで。
さて。
インドでの買い物といえばボッタクリ……というのはよく聞く話。でも口先三寸でモノを高く売りつけるというのは、「儲けることが資本主義」という原理原則に則ったインドの商売人から見たら決して悪ではないのです。
インド人の世界観に、すばしこく立ち回り自分の才覚でうまくビジネスを回す者は成功者であるという価値観があるのは事実で、人の利を奪い自分がのし上がっていくことはある一定の人々にとっては正義でもあります。
文化国家であるために
以前、デリー近郊のノイダにあるキッザニア(日本にもある子ども向け職業体験テーマパークです!)で、間が悪く近隣の私立校の遠足の子どもたちと鉢合わせしてしまったことがあります。列をつくって並び順番を待つはずが、子どもたちが集団で割り込みしていくため、当時8歳の我が娘にはいつまで経っても順番が回ってきませんでした。日本と違いスタッフは態度の大きい客に萎縮してしまいがちなので仕切りもひじょうに悪い。
遠足集団は、ころころ丸々とした、いかにも甘やかされて育った風のEnglish Mediumの子どもたちでした。付き添いのママたちはビア樽のような体型、子どもたちが話すのはインドアクセントの英語。
健康志向が高く、高級住宅地の一軒家に住みドイツ車に乗るようなアッパーよりの層ではなく、奥さんを太らせるのが男の甲斐性で、郊外の新興住宅地のコンドミニアムに住み韓国車に乗っている……そんな小金持ちの中間層。その上昇志向のガッツと厚かましさでいまインドで一番勢いがある層といいましょうか(怒られるかも(笑))。
30分ほど様子を見ていたものの、日本育ちのヤワな娘はまったく太刀打ちできず、なにひとつ体験しないままに「帰る……」と半泣き。娘の不甲斐なさに腹を立てて「突っ込め、負けるな」と発破をかけるものの、娘をガン無視であとからあとからやってくる傍若無人な割り込みにさすがに腹が立ち。
「よく聞け、子どもたち!」
気づけば思わず声を張り上げて大演説をかましていました。
「きみたちは親ががんばって稼いだお金でいい学校に通えている。きっと将来、よい大学に行き、よい就職口にありつき、よい人生を歩むであろう。しかしながら、他者を押しのけ、自分だけがいい思いをしようという根性は、グローバル基準で見たら発展途上の発想と言わざるを得ない。弱きを助け、国全体を底上げしてこその富ではないのか。いまきみたちがしていることは決して世界に誇れる文化大国インドの紳士淑女のすることではない、外国で同じことをしたら即刻馬鹿にされるし、私から見たら貧民街で水を奪い合う人たちとなんら変わらない。わかったら私の娘に順番を譲りなさーーーーいっ!!」
子どもたちはポカーンとして聞いていました(笑)。私が大声を出しているので引率の先生がすっ飛んで来ていましたが、黙って最後まで言わせてくれました。なにも仕切らないスタッフに「ちゃんと仕切れ」とクレームし、遠巻きに眺めているビア樽ママたちにはガンを飛ばし。ああ、忙しい。
決して上からの目線で言いたいわけではないのです。インドとインド人が、国外に出たときに馬鹿にされず、敬意を持って受け入れられるためには絶対に必要なことです。響いても響かなくても、なにも変わらなくても、次世代を担う子どもたちには言わなくてはなりません。
我が娘は「ママの演説がまた始まったよ……」と呆れ顔でしたが、つつがなく職業体験ができてめでたしめでたし……でもなく、親としてはこれからの世界を生き抜くためにもうちょっとピシッとしてほしいのが本音。
『使う人使われる人: インド人の力学』でも書いたように、"Equal(同じ)"という意味での平等はなくてもいいけど、"Fair(公平)"という意味での平等はあってほしいと私は思っています。
生きていく上でなにが大事なのかは人それぞれだから、必ずしも全員にまったく同じものが与えられる必要はない。でも機会は誰にでも公平に与えられるべきで、それを他人から奪ってはいけない。「列を作って順番を待つ」というルールがある状況でのオラついた割り込みはNot Fairの最たるもの。
持てる者が分け与えるべきはその場限りの施しではなく、Fairness(公平であること)であります。
留保枠での不正入学というNot Fairを描いた『ヒンディー・ミディアム』の結末は、このときの私のモヤモヤした気持ちをスカッと晴らしてくれるものでした。
インドが真に文化国家となるために絶対的に必要なもの。それをほかでもない自国の観客に、娯楽という形をとりながら問う、そういう作品だと思います。
『ヒンディー・ミディアム』
9月6日(金)新宿ピカデリー、ヒューマントラストシネマ渋谷ほか全国ロードショー
【STORY】
高級住宅地に引っ越して面接の猛勉強…したのに全滅!?
そんなとき、貧困層のための優先枠があると聞き…!?
デリーの下町で結婚衣装の店を営んでいるラージ・バトラは、妻のミータと娘のピアの3人暮らし。娘の将来のため、ラージとミータは娘を進学校に入れることを考えていた。そうした学校は面接で親の教育水準や居住地まで調べていることを知るが、ふたりの学歴は高くなく、2人は娘のために高級住宅地に引っ越して本格的に面接に臨むが、結果は全滅。落胆する2人に、ある進学校が低所得者層のために入学に優先枠を設けているという思わぬ話が舞い込む。追いつめられたラージたちは貧民街に引っ越して優先枠での入学を狙うのだったが・・・。
監督・脚本:サケート・チョードリー 脚本:ジーナト・ラカーニー
出演:イルファーン・カーン、サバー・カマル ほか
配給:フィルムランド、カラーバード
2017年/インド/132分/ヒンディー語/原題:Hindi Medium/シネマスコープ/カラー/5.1ch/映倫G