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本当は書きたくないこと。

珍しくネガティブな投稿を。

ソーシャルメディアには何を書こうが自由だが、「読んでいる人が楽しめるコンテンツ」になっていなくてはならないと思っている。自分の勝手だからいいじゃないかという人がいてもいいが、ひがみっぽかったり、自慢げだったり、言い訳やグチなどが続くと、わかりやすく人は離れていく。

いくら「私はそれをヒガミや妬みだと思って書いていない」と言っても、受け取る側にそう伝わってしまえば取り返しはつかない。極論すれば数字がそれを示すこともある。どんなに役に立つエビデンスや情報を書き連ねようと、書き手の温度や可愛げが伝わらなければ、継続的に読みたくはならないのだ。

俺がnoteに大きな可能性を感じた当初は、攻撃的な参加者をあまり見たことがなく、書くことや読むことを純粋に楽しんでいる「活気のある図書館」みたいな印象を持った。

しかしプラットフォームの性格は否応なく変わっていく。今回のアナウンスのように「マネタイズ」が前面に出ることについて規約で言及したわけだけど、すでにそう言わなければならない事態が生まれているということだろう。

俺の周囲にはまるで見えてこないけど、そういう人たちがいるという事実の発表だ。これはnoteに限った話ではなくて、拡大し成長したプラットフォームというのは作っている側が制御できない意志を持つのだと思っている。

「悪貨は良貨を駆逐する」という言葉もあるように、今のnoteはもう「静かでインテリジェントな図書館」ではなくなってしまったのだろう。noteという存在に理想像を見ていたからこそ、そのことは悲しく思う。

詩を書きたい、絵を載せたい、自作の小説を読んでもらいたい、そんな穏やかな場所はネット上では存続できないのかという敗北すら感じている。

今では誰もmixiの話をしない。一時はあれだけ騒いでいたのに。歴史の浅いソーシャルメディアではあるけど、やっと盛衰のパターンが生まれ、理解されつつある。

まず、穏やかな子羊がのんびりと散歩するコミュニティができあがる。安全で快適な場所だ。そこを発見した一匹の狼がやって来る。狼の目的は羊を捕まえて食べることだったり、自分の得になる方向へ彼らを誘導することにある。「僕らは静かに散歩がしたいだけなんです」と言っても、柵の中に狼が紛れ込んでいる以上、もう安心して散歩はできない。「誰にでも開かれている場所」には、当然そういったリスクが含まれている。

先行した狼が成果を上げると、別の狼も続けてやって来る。今までの羊たちは恐ろしくてそこで暮らすことができないから、別の場所に移動する。狼は獲物を追って生きているので、羊が移っていった先を追いかけ、その草原には誰も残らない。これがたとえば今のmixiの姿だ。

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2000年より少し前、俺はNiftyServeに加入していた。フォーラムを基盤としたパソコン通信は「ソーシャルメディアの先祖」として言われることもあるけど、成り立ちは全然違う。あそこにはラジオ工作クラブやアマチュア無線などが好きな人が、それらの別バージョンとして集まっていた。コミュニケーションではなく、連絡を取る手段をマニアックに面白がっていた。

俺がアメリカの人からFacebookに誘われたのは2007年頃、学生から一般に開放され始めた時期で、まだ日本語版がなかった頃のことだ。ソーシャルメディアの概念も、そこに参加することで自分に何が起きるかも全然わからなかったから、ただ申請を放置していた。

mixiは、ある意味で我々がやっとソーシャルメディアをリアルタイムで学べた体験だった。多くの人々が同じコンディションで様々なことを知り、ソーシャルメディアという世界を、言葉をおぼえる子どものように学んでいった。

「2ちゃんねる」は読んだり書いたりしたことがなかったが、外側からは、悪貨であることが正義で、良貨は「偽善的」と呼ばれてしまうほど性悪説で成り立っているように見えた。偽悪的・差別的であることが初めて市民権を得た世界だと言ってもいい。ネットが人を悪くするのか、生来の人の悪さをネットが具体化させるのかは知らない。ただ、確実に悪いことが起きる。

花壇を大事に育てているコミュニティがあれば、そこを踏みにじることに快感をおぼえる人も必ずあらわれるものなのだ。

「これは批判ではない」という前置きをしてから慎重に書くけど、ある時期から、実はnoteの運営の方が先に「生々しいマネタイズ」にシフトしたように感じていた。それは企業の論理としてはまったく間違っていないし、アクセスを増やしたりスケールを大きくすることはビジネスとして大事なことだろう。でも、それまでは確実に存在していた「ヒューマニズム」が薄れていったと感じた瞬間が何度かある。

ここから先は、noteを愛する誰かと会ったときに話せればいいからあえて書かないけど、たったひとつだけ書くとしたら、以前の俺は何かを発信したいという人には、必ずnoteを発表の場にするように熱心に薦めてきた。

それを最近言わなくなっていることに自分で気づいてしまったのだ。

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ワタナベアニ
多分、俺の方がお金は持っていると思うんだけど、どうしてもと言うならありがたくいただきます。