「ミッドナイト・ツルッパゲ」
リスナーの皆さんこんばんは。今日、ランチでカジュアルなステーキ屋さんに行ったのですが、客は私ひとりでした。ステーキを注文すると「玄米か白米か選んであそこから自分で取ってください」と店員は言いました。彼はその炊飯器の前に立っています。店のマニュアルだというのは重々承知なのですが、注文を取ったあと、私のテーブルから炊飯器の目の前に移動して、何もせずに立ってセルフサービスを指示する。わかってはいるんですけど、何か釈然としなかったですね。客がひとりしかいないからといってイレギュラーに私によそってしまうとマニュアルを逸脱するからでしょう。
しかしその店は以前はご飯も店員が厨房から持って来ていたのです。マニュアルが気分で変わったのだと思いますが釈然としませんでした。もし私が飲食店を始めるとしたらこんなことはしないなあ、もっと臨機応変にやらせるなあ、ボーナスもけっこう出すけどなあ、と感じた昼下がりでした。さて、最初のお便りは「メロン農家の娘」さんからです。
ロバート、こんばんわ。「メロン農家の娘」です。24歳のアシスタントディレクターです。24歳、イキって働いてますが、オジサンってどうして結婚指輪しないんでしょうね。田舎者の私は、結婚指輪しない人は全員未婚の人と思っていました。仕事の企画で、と呑みに誘いそのままホテルに行きたそうでした。妻子がいると知りこの非常識が社会の常識なのか?と笑顔裏で心のナイフでメタ刺ししてました。酔ってたまるか、なので酒はべらぼうに強くなりました。酔って崩れゆくオジサンの自慢話はこの疲れる社会で生きる登竜門だったと思うことに。酒代、奢ってもらえたし。話がそれました。そんな私にもプラトニックで唯一、大切だったと後で気づいた人がいました。過去形なのは、その方は仕事場で脳梗塞に倒れ還らぬ人となってしまいました。仕事終わりに行きつけ居酒屋のカウンターで、何を話したか思い出せないけれど。日本酒をちびちび呑み、ツブと塩昆布。夜食にと大きなおにぎりを2個持たせて、タクシー乗り場まで送ってタクシーチケットを渡して「じゃ」と自分は徒歩で帰っていく。忘れていたのに、最近よくその人のことを思い出します。歳バレしますがその方の、歳の頃に近づいてきたからですね。長くなりましたロバート、聞いてくれてありがとう。愚図にこじらせた恋愛観の私に、マイアミバイスください。または、この気持ちに相応しい曲を。
えーと、まず文章が長いですね。これでも少し削りましたよ。引っ越し翌日レベルでとっちらかった性格だとお見受けします。オジサンは結婚指輪を外して若い女性をどうにかしようとしている、という論理展開もありましたが、これは無理がありますね。そんな人ばかりではありませんし、たとえ心の中でも、決して他人にナイフを向けてはいけません。タッ券とか塩昆布とかおにぎりの描写もどうでもいいので流します。要約すると、プラトニックな関係で気になっていた人のことを、ときどき思い出すってことですね。
話が長い人は、話を短くできない、という顕著な特徴があります。これはすべての面において敬遠されるので気をつけてください。私のオープニングトーク、無駄に長かったでしょう。わざとです。「あの人、話がつまんないんだよな」と言われるのはまだ傷が浅いんですけど、「あの人、話が長いんだよな」は即死ですよ。メロンさんの文章を私ならこう書き直します。
ロバート、こんばんわ。「メロン農家の娘」です。24歳のADです。私にはプラトニックでしたが、会えなくなってから大切だったと気づいた人がたったひとりいます。脳梗塞で還らぬ人となったその人のことを最近になってときどき思い出します。その気持ちをどうしたらいいでしょうか。マイアミバイスください。
これくらいで十分伝わります。描写の細部は自分の脳内でしか映像化されませんから、居酒屋のカウンターなのか座敷なのかなんてどうでもいい情報です。さて、もう会えなくなった人というのはどんなときも美化されるものです。いい印象だけをメロンさんの記憶に残してその人がいなくなったのだとしたら、そのときの純粋な気持ちを「自分という映画」の前半部分、とてもいいシーンだと思って思い出せばいいと思います。もう映画のストーリーは先に進んでいますからどうにもなりませんけど、人生とはフィルム一コマごとの結果が積み重なって作られています。ゲームのようにリセットして最初からやり直すことはできません。だから何気ない日々であっても時間は尊いのでしょうね。私がメロンさんの映画を観たとしたら、その塩昆布とおにぎりの美しいシーンで涙するかもしれません。それでいいじゃないですか。
曲、いきましょう。ビリー・ジョエルで『ニューヨークの想い』です。
(スタッフに)差し入れの千疋屋のメロンがあっただろ。あれ、切って持って来てよ。