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サボらない癖。フリー全文。

すべての結果は「サボった量と反比例する」と思っています。

「頑張った人は報われる」を逆に言っただけじゃねえかと思われるかもしれませんけど、若干ニュアンスは違うんです。頑張る、努力するというのは主観的ですから、それが他人に届いて初めて価値が発生します。

客観性のある努力ができた段階でもらえる称号が「サボってない」なのでしょう。俺の貧しい範囲での統計によりますけど、とてつもなく結果を残している人が「頑張っている姿」は外から見えにくいですが、サボってないなあというのは直接的によく感じます。

お恥ずかしいことに、俺がこの違いを知ったのは中年を過ぎてからです。

それまでの「サボり負債」に気がついてしまい、返済に追われる日々。20年前から俺の仕事ぶりを見ていた平林勇監督からは「キリギリスって、途中からアリになれるものなんですね」と言われました。これはとても嬉しい言葉でした。

俺はデザインもCMもノリというか、その時に持っている最小限のキリギリシーな能力で「自分もできる」と勘違いしていました。

前にも書きましたが、アメフトのワイドレシーバーと一緒に走ったとき、俺の方が速かったことがあります。なんだ、こいつ大したことないなと思った。でもそのダッシュを数十本続けてやるのです。当然、俺は喉からコリス笛ガムみたいな音が出て呼吸困難になりましたが、彼は最初と同じスピードで平然と走っていました。

これが能力です。

最初に「俺もまあまあできるな」と勘違いし、悪い癖がついたデザインは一旦置いといて「サボらない努力派」としてゼロから写真を勉強することにしました。これは恥ずかしい懺悔ですから自慢ではないんですが、アリの感覚を手に入れました。

冗談ではなく、一日に21時間くらい写真の勉強をしました。技術に関する本を買い漁って読み、ありとあらゆるカメラやレンズを理解するために買いまくり、youtubeやvimeoに外国のカメラマンがスタジオで撮影している動画がありますが、一時停止して機材やセッティング、何をしているのかをメモり、自分でも同じことを試しました。

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本来これらはアートディレクションをしているときに優秀なカメラマンの仕事ぶりを観察していれば目の前で知り得たことでした。その恵まれた環境を数十年も何も見ず無駄にしていたことに愕然として、誰か俺を半殺しにして欲しい、そのあと優しく看病して欲しいと思いました。

デザインも写真も抽象的なモノですから、自分がいいとか頑張ってると思っても相手がいいと言うとは限らない。そこに議論の余地はなく「あいつ、見る目がねえ」などと自己弁護をしてはいけません。その評価はたったひとつ「優秀な人に信頼されて仕事を依頼されるか」だけです。

このフレーズは3つに分かれています。優秀、信頼、依頼。

優秀ではない人から頼まれるのは、味音痴な人から美味しいと言われているレストランと同じことなのでまったく評価の対象外です。知り合いにその仕事ができる人がひとりしかいないならその人に頼むし、50人いれば優秀な人を選んで頼みます。50人から選べる人が「優秀」ってことでしょうね。

信頼は、優秀な人が「俺の仕事をよりよくするために利用できる」と感じる、という大人っぽくエグい意味があります。ここ結構大事。仕事はギブアンドテイクなので、与えられたモノは返さないといけない。

依頼は、その優秀な人がどれくらいの人数、自分を知ってくれていて仕事を頼みたいと思っているか、の潜在需要です。

長くなりましたけど、写真をゼロから真面目にサボらずにやってきたおかげで優秀な人々とも巡り会い、なんとか仕事ができているというお話でした。

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多分、俺の方がお金は持っていると思うんだけど、どうしてもと言うならありがたくいただきます。