11.世紀末の話 PartII
GONZOで頑張って居る僕ですが、話は少し戻って、、。
その前年、1998年、リューセイバーを作った後に、バンダイビジュアルさんのお仕事をさせていただいておりました。
「破邪大星ダンガイオー」の復刻版のレーザーディスクのジャケットです。
お話した通り、リューセイバーは「ダンガイオー」を作りたい!と思って作ったモノなので、まさに渡りに船! CGの神様、ご先祖様、大変名誉なお仕事ごっつあんでした!!ありがとうございました!!
で、終わってなかったのです。
このレーザーディスクのジャケットイラストのチェックということで
ダンガイオーのイメージを作られた大張正己さんに見ていただいたとの事でした。
※コレたしか、僕が調子に乗ってバンダイビジュアルのプロデューサーさんにお願いしたような気がします。
学生時代に、大張正己、羽原信義、小林誠、園田健一(敬称略)の熱烈ファンだった僕は直接憧れていた方だったので大感激でした!
しかも、なんとTcupの掲示板(今のSNSみたいなモノ)で、大張さんが挨拶を書き込んでくださってとても感動したことをよく覚えています。
いやはやマジで、一生の思い出ありがとうございました!!って感じで、
ソレを胸に翌年1999年にGONZOで働いていたわけですが、、。
なんと、GONZOに居る事を知っていただいたようで、お声をかけていただき、なんと直接ご挨拶することに、緊張しまくって、田無の居酒屋まで出かけていきました。緊張しすぎてなにも覚えていませんがw
その後、StudioG1-NEOにお邪魔して、今後お仕事で協力できる事があれば、、という話に。
この頃は渡りに船な話ばかりであまり教えになるような事も少ないのですが
■やはり人との繋がりは実力と同じくらい大事ですね。
時代的に3DCGに対して拒否感が強い人が多い時代でもありましたが、(<これ改めて説明します)
真っ先に声をかけていただいてこの後とても仕事がしやすかったのでした、感謝しかありません。
そして2000年、GONZOの社長さんには「ずっと居ていいよ」と言ってもらったのですが、実家の事情もありGONZOを辞めて、無職になり岐阜に戻るのです。
ぶっちゃけ実家が借金の保証人だったのです。
その時の考えでは、東京でアニメの仕事では厳しいので、岐阜で働くべきだろうか、、。
ただ、岐阜でCGの仕事ができる訳がないので、普通に就職をしようか、、とかも考えていました。
ですがなんと、岐阜でStudioG1-NEOさんのアニメのお仕事「など」を引き続きさせていただく事になるのでした。
※ちなみに、LDのジャケット描いた事あるCGクリエイターってなかなか居ないと思います!自慢ですw