渡辺哲也@anitemp
CGクリエイターでメシを食ってきたことについて書いてます。 起業とか経営の話ではなく、職人の話です。 人生の折り返し地点なので自伝と思い出、 CGを仕事にしようと思ってる人に向けての体験と学びを発信します。
※専門学校でのセミナーをオファーされたので クリエイターを目指す若い人に向けて書いていこうと思います。 渡辺哲也です。 かれこれ32年ほど、3DCGを作って生活させていただいております。 10代は 自分の人生の 「夢を作った」 20代は、サラリーマンモデラーの傍ら、自主制作をしつづけ 「きっかけを作った」 30代は、ひたすら仕事をこなし 「仕事を作った」 40代は、仕事でなくしてしまった作家性を取り戻す 「自分を作った」 そして50代は 「人を作った」 と言う予定なので
2022年はお仕事も充実してとてもいい1年でしたが、、 やはり介助ばかりの1年となりましたw 本人の努力もあり、自力で名古屋駅の支援まで通ったり 買い物したりするところまで来ました。 大変だったけど、学びも多く充実したいい1年でした。 年末に腰を痛めてしまって振り出しに戻ってしまったように感じましたが 腰が回復するにつれまた体力も戻ってきているように見えます。 2023年は、介助も楽になりまた創作の方にも戻れるかな?と思っておりますがどうなることやら。 今年もよろしくお
2000年 CGの話じゃないけど、CG屋として生きていくのに大事だった話 岐阜に帰ってからも、東京のCGなどのお仕事をいただける事になり なんとかCG屋として生きていける事に! まず目先に問題が一つ 岐阜では車は必須なのだが、東京に行ってる間 ノーメンテのボロボロの180SXは10万キロオーバーで頻繁にオーバーヒートしてしまうもう寿命かな。 という事でポルシェ968を購入!!壊れてる奴を格安の120万円で!w 30歳でポルシェオーナーに!! キャノンが主催してた、「CG
GONZOで頑張って居る僕ですが、話は少し戻って、、。 その前年、1998年、リューセイバーを作った後に、バンダイビジュアルさんのお仕事をさせていただいておりました。 「破邪大星ダンガイオー」の復刻版のレーザーディスクのジャケットです。 お話した通り、リューセイバーは「ダンガイオー」を作りたい!と思って作ったモノなので、まさに渡りに船! CGの神様、ご先祖様、大変名誉なお仕事ごっつあんでした!!ありがとうございました!! で、終わってなかったのです。 このレーザーディ
ロスト・ユニバースが終わって数ヶ月、時は1999年 予言によると1999年の7月、ハルマゲドンが到来し地球は破滅するとかしないとか。 ゴジラが上陸するのもショッカーが襲うのもまずは東京、 そんな日本でも最も危険な都市である東京にわざわざ上京をすることになりました。 というのも、ロスト・ユニバースが終わった後 アニメ会社であるGONZOさんに誘われたからです。 気持ち的には、引っ越し面倒だし、東京はなんか怖いし!! 絶対に行きたくない!絶対に嫌だ!けど、あっさり行くことにし
いままで時系列で話をしてきましたが、少し外れて、コラム的な文章です。 1997年、病気になってサラリーマンを辞めた時に思った事 「これで義務から開放される!しばらくは権利だけで生きていける!」 単純に働く義務が無くなる代わりに、お金を貰える権利が無くなるのだと思っていたのです。 コレからは好きな時に好きな仕事をして気楽にお金をもらえるのだと思いました。 ですが実際は、仕事をしていなくても、年金を支払い、健康保険を支払い、税金を支払い、確定申告をしなくてはいけませんでし
コンテストで自主制作セルシェーディングロボアニメが賞を受賞して トントン拍子にTVアニメのお仕事をすることになりました。 実に運がいい! しかも、フリーランス初仕事! クライアントのDoGAさんとは、コンテストの繋がりで仲良しだったので、初仕事でも緊張することもありませんでした。 当時の僕はデザインとモデリングが得意でしたが、アニメーションはまだまだだったので(当時の僕は全てに置いて自信がありましたがw) 当時、CGメカのアニメーション、エフェクトにおいてはCG界では第一
1997年夏、僕は過剰な自主制作で身体を壊して無職になりました。 最悪です悲惨です、、もう全ての希望が無くなりました。 と言いたいところですが、、 肋膜炎の影響、睡眠不足、疲労からの体調不良はあるものの 会社にいられなくなった原因は溶剤アレルギーと、ハウスダストアレルギーなのです。 木や樹脂の粉が舞い、接着剤や溶剤が沢山ある木型会社に行くと咳が止まらなくなる。 つまり家でパソコンで作業するのは問題ないのでした、まぁ慢性的に体調悪いけど。 逆に会社にいかなくなった事で、毎
自主制作映像が立て続けに受賞!お友達も沢山できた! まさに順風満帆!!、、、と言いたいところですが、 実はそうではありませんでした。 この時は、会社員との二足のわらじなのです。 会社員をきっちりこなしながら、この規模の3DCGアニメを作り、漫画家の先生のところにも勉強に行ってるわけです。 会社から19時に帰宅、そこから朝の3時まで自主制作をして3時間だけ寝て朝6時に会社に、たまに先生のところに勉強に伺う、半年以上こんな生活をしていました。 圧倒的に足りてなかったんですね、
DoGAで自主制作アニメが受賞した事で、人生はますます大きく舵を切ります、授賞式にも参加して、スタッフや受賞者さんとも友達になって、承認欲求フもル充電。 条件が折り合わず辞退したのですが有名なアニメ会社さんから、「うちにこないか?」というオファーもいただきました。 冒頭ですがまずは早々に、学びを一つ コンテストに応募する事はメリットが多いので強くオススメします。 ■受賞歴は箔がつくし人に覚えてもらえる。 ■DoGAのスタッフや、受賞者と友達になれる。 ■直接お仕事になる
1993年12月25日に AMIGAを手に入れた僕 1994年の正月の間は3DCG三昧! 3Dソフトは、caligari24 憧れのAMIGA 3DCGマシン! 正月中風邪をひいてしまったけど、ずーっと3D三昧。 AMIGAはマニュアルも何もかも全部英語で、インターネットは無い時代 電子辞書片手に英語マニュアルを翻訳しながらなんとか作る。 本当はLightwaveが使いたかったのだけど 当時のLightwaveはVideoToasterというハードとのセットのソフトでそれ
※専門学校でのセミナーをオファーされたので クリエイターを目指す若い人に向けて書いていこうと思います。 1991年に木型の会社に就職し、その後の未来に必要なスキルを日々習得しながら初給料で買ったFMTOWNSでゲーム作りの毎日。 偏ってるけど、自分の才能に酔いしれ、自己肯定感高めのクリエイティブな楽しい毎日でした。 あと、車を覚えたのもこの時期です。 もともとスーパーカーブームの洗礼を受け、ガンプラで育ったのでメカは好きだったのですが、 自分が車を運転するようになり、自分で
※専門学校でのセミナーをオファーされたので クリエイターを目指す若い人に向けて書いていこうと思います。 僕はメカ、ロボに強いCGクリエイターとして仕事をさせていただいています 僕のメカ好き、歴史をたどれば、根本はスーパーカーなのかもしれません。 ちょうど幼少期、保育園の頃にスーパーカーブームだったのでカッコいい自動車の絵を描いて育ち、小学校に入る頃に、第一次の機動戦士ガンダム ガンプラやその後のロボットアニメブームにどっぷり浸かって育ちました。 手先はとても器用だったので
※専門学校でのセミナーをオファーされたので クリエイターを目指す若い人に向けて書いていこうと思います。 クリエイターはいいぞ!まず最初に、今の世の中、右を見ても左を見ても凄いクリエイターばかり SNSでは神絵師や神3Dクリエイター達が日々謙虚に精進しています。 そんな中で、僕なんかがクリエイター人生を語るのがおこがましい事ではあると思います。 が、まぁ、そんな事を言ってても仕方ないので、ソレは置いておいて 自信満々に偉そうに語っていきます、ご了承ください。 モノ作りが楽