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生かそうと思ったのに

友人が遊びに来るというので、部屋の植物を新調しようと、午前中の内に掃除を終え、近所の花屋へ赴いた。
雲は風に吹き洗われて、新品みたいなひろい空が、私にやわらかい日を浴びせた。
春の襲来に冬が慄くような、強制的でつよい、風を見た。
もう何年も生きているのに、季節の移ろいはこんなにも暴力的だったろうかと、いつも何かを忘れては、とんちんかんな事を思う。

近所の花屋は、住んでいるアパートから、徒歩5分ほどのところにある。
近くに駅のない、古い接骨院と、ショー・ウィンドウばかりが派手なお菓子屋に挟まれた、辺鄙な花屋だ。
さまざまな風の、さまざまな部位に打たれつづけながら、花屋の前に着いた。
季節の突風が手伝って、いつも大袈裟に開かれているドアーは、ぴちっと閉まっていた。
おまけに、風防止の意味を十分に含ませた、橙色のおもたいレンガによって、押し固められていた。
いつも店頭に出ている、青い観葉植物たちも、一切が店内に身をうずめていた。

花屋のご主人に気づいて貰い、レンガを除けて貰う事を祈ったが、結局気づかれず、自らレンガをどかし、布のように軽いドアーを開けた。
「いらっしゃい。」と一言。
ここのご主人は、主体的に何かを話して来ないから、楽でいい。
花みたいな人だ。

少し長い枝植物を入れておく、ガラス製の花瓶を埋めたい。
その心が私に花を選ばせ、結局、抱えるほどの大きさの、桜を買った。
花屋に飼い慣らされる数本の内の、最も良い状態の桜を、ご主人が選んでくれた。
6分咲きほどの桜だった。

「2月に桜を見られるなんて…。春を先どりした気分になれますね。」

と、ご主人に言ったと思ったが、返答という返答は貰えなかった。

「次は梅が咲きますよ。」

また来てください、という意味かもしれなかったが、私はとても気がつかず、白い紙に包まれた桜を抱え、店を出た。

薄桃色にうつくしい花びらが、風に攫われぬよう、足早に帰路をたどった。
帰り道にある、お客が1人、2人しか入れないような、このあたりでは洒落たパン屋で、昼食用のパンを2つ買った。
店員が少しだけ、私の抱える桜を見た。

部屋に戻って、桜を活けた。
桜の枝は太いので、予めご主人に剪定して貰ったのだが、私の花瓶のサイズに、驚くほどピッタリと収まった。
あの人は何か、植物を適切に扱う為のつよい神秘に触れているような、最早凄いのか凄くないのか分からない力を、うまれつき持っているのかも知れない。

部屋が一気に春めいた。
植物をもって、季節を先どりする事。
都合の良いように、変更する事。
冬が苦手な私にとって、これは素晴らしい発明だった。

駅まで友人を迎えに行き(突風を十分あじわったので、バスに送迎して貰った)、家へ向かう車内で、買った桜の話をした。
友人の目がきらめいたので、これはいいぞと思ったのだが、部屋で実物を見せると、
「これね。ふーん。でね、」
と、殆ど話題性はなく、空気のように通過された。
6分咲きだったからかもしれないし、私の部屋に、既に馴染み過ぎていたのかもしれないと思った。
馴染むという事は特別にすぐれたことなので、私は変に嬉しい気持ちだった。


花屋のご主人に言われた通り、汚れたら水を替えてやった。
水は大体3日で、白濁とした。

桜の購入から2日ほどで、花は殆ど満開となった。

5日ほど経つと、花はよく散るようになった。
花瓶の水面に浮かぶ花びらは、溶けて色となってしまいそうなほど儚く、枝に実る花とは違ったうつくしさがあった。

購入から10日ほど経ち、水を取り替えてやろうと、花瓶から桜を抜き取った。
少しの間、部屋の柔らかい場所に桜をおろし、私は台所で花瓶を洗い、新しい水を注いだ。
定位置に花瓶を戻し、桜の枝を手に取った時、少しの振動で、大量の花びらが床に散った。

仕方がないので、2~3枚の花びらを花瓶の水面に浮かばせ、あとは捨ててしまった。
桜は少しやせたように見えたが、私の心を深く揺さぶるような出来事では無かった。

「生かそうと思ったのに」という、掠れた低い一つの声が、部屋に小さくひびいた。

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