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おそうじ

数ある家事業の中で、掃除が最も好きです。

いいえ、カテゴリーを家事に狭めずとも、掃除という業務に、深い愛を持っています。
昨年の誕生日、一緒に過ごしてくれると名乗りを挙げてくれた、奇跡的な美しきお方から、「何をしようか?」と問われ、「…家の掃除。」という、余りにも可愛げの無い真実を答えてしまったくらいには、掃除が好きです。
(そして心の美しすぎる友人と共に、自宅の掃除に明け暮れた素晴らしい誕生日となったのです!ありがとう!)

掃除が好きになったのは、一人暮らしを始めた頃からです。
実家に住んで居た頃は、部屋の掃除はおろか、洋服をクローゼットに仕舞う事さえ億劫で、私の顔に元来備わるこのお口が、「掃除が好き」だなんてセリフを口走る日が来ようとは、まるで思いつきませんでした…。(一番の驚愕を見せたのは母です。)

掃除のどこが好きか、などという、これまた野暮ったい事を考えてみようと思うと、やはり綺麗になった後の部屋で、ひとつ呼吸を響かす時の幸福度が、私にとってとても重要だからです。
至極稀に、「汚い部屋の方が落ち着く・作業が捗る・集中できる」という考えをお持ちの方と遭遇する事がありまして、というか実家に暮らしていた頃の私もそう信じこんでいたし、まあ所謂「汚好き」の民は居るものですが、今の私は到底真逆で、ゴミ埃が本当の意味で無い、マッサラ綺麗な空間で生きる事を目的とするようになりました!

基本的には、定期的な掃除が必要とされる水回りについては、基本的には月に1度、少し時間をかけ、掃除するようにしています。
それらの清掃業務の中で最も愛しているのは、キッチンのシンク、及び洗面所の流しを、綺麗に洗いたてて、そこへ撥水スプレーを塗布し、従順にはじく水滴を眺める所作です……。感無量。
溜め息が幸福の湿度をまとう、限りある至福のひと時です。


という訳で、家じゅうを掃除して、綺麗な生活空間に落ち着き、ふっと息を吐く事を日々の楽しみとして捉えているのですが、更に内容を突き詰めてゆくと、私にとって掃除は、「唯一の無心になれる時間」を担ってくれているように思います。
やはり、日々を大切に、丁寧に生きる事を心掛けてはみても、何も思考せず無心で居られる時間は、どうにも限られてしまうようです。

そう言えば少し前、懇意な方と話をしていて、「料理する時間は何も考えず、集中できるから好きだ」と、そんな話をされていた事を思い出しました。
料理がてんで駄目な私からすると、「料理中何も考えないとは、自殺行為か?!」と度肝を抜かれてしまいますが、私が掃除を愛する事と、もしかすると殆ど同義なのかも知れません。

例えば朝起きて、珈琲を飲んでみたり、何となく人と話をする時、ひとり軽やかな作業に取り組む時など、音楽を流して気分を上に向けたりしますが、掃除中に、そういった気の紛らわし、誤魔化しは途轍もなく邪魔で、とにかく無音にて、我が行動に伴う結果だけを味わいたいと祈ってしまいます。
多分側から見て頂くと、集中の上に立ち、難しい表情を顔に貼りつけているものと見えますが、不思議な事にその集中めいた力が、私の中の思考する脳みそを一切排除してくれていて、結果として「無心」へと運んでくれているようで…。

つべこべと喧しく、さまざまな事を書きたてましたが、全くもってして、潔癖症という訳ではありません。
なので、人様の自宅やら居住空間が汚れていようが、負の感情は微塵も起こりませんし、却ってそのひとの生活が、自由に風を浴び、その人らしさを以て仕上がる個人的な一角に、恋焦がれる場合もあるくらいです。
そういう意味で言うと、自分の生活が関わらない空間を、敢えて掃除したい、という気分に持ち上がる事も一切ありません。
自分の部屋、生活、人生に、きらめきと艶めきを施す事に、偏った信じつらぬきたい感情があるのだと思います。


誰かが遊びに来てくれる予定があったりすると、掃除がとても捗るものですので、来客を待つ心を春の訪れに添えて、今宵もシンクの撥水を眺めます。

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