「悲鳴」が聞こえないか…。フェミニズムとアンチフェミ、そしてシンジとアスカ。旧エヴァンゲリオンオタクの、アイの叫び。
悲鳴が聞こえないか、「怒り」の向こうから。
僕は、フェミニズムを知らない。しかし、なのに。ツイッターから無数の悲鳴が聞こえてきて、苦しいのである。
フェミニストとアンチフェミが戦っている。双方が怒り、罵りあっている。言葉を使って。しかし、僕の耳には、女性の「悲鳴」が聞こえる。僕の目は、「怒りの言葉」を見ているのだが、耳には「絶叫の悲鳴」が聞こえてくるのである。…まずは見て欲しい。
ほぼ自己矛盾である。「A=Bである。ということがBには分からない。(Aには分かる。)」…えぇ、それじゃ、A>>>Bを主張してますよね。A=Bじゃないじゃん。
このツイートは多くのアンチフェミ界隈から晒上げられた。大手古参で知られるピンフスキー氏の解説があざやかである。
短文でテンポよく、句読点すらつかわず文型を整え、そして決して凍結されない方法で「本物」をバカにしている。自分を「まがいものの差別者」と下げ?ながら。…とても頭が良い人だと思う。
僕にはこれはとてもできない。
「世界の中心でアイを叫んだモノ」の行く末
彼女の言葉を、もう一度見てみよう。
…怒っているように見える。だが、耳をすまそう。「悲鳴」が聞こえてこないか?
ピンフスキー氏の答えは、僕の目にはこう「聞こえる」。
聞こえないか?
「わたしはあなたと同じ人間なの」
「いや、お前は頭がおかしい。俺はお前の上にいる。はい論破。」
この女性は、このやり取りを、何回繰り返したのか?この怒りを叫ぶまでに。この、論理矛盾した文章を、叫ばずにいられないまでに。
この女性のツイートには、現在248件の引用リツイートがついている。そして、そのほとんどが矛盾を指摘するものか、嘲笑するものである。
彼女は、今回のこの一回で、この簡単で切実な「お願い」を、200回以上
も否定されて叩かれているのだ。この人は、今までいったい何回こんな目にあったのか?
あなたなら、耐えられるか?僕なら耐えられない。僕なら発狂して叫ぶ。「助けてよ。…誰か助けて。誰か、僕を、助けてよおおおおお!!!!」
そして、ふと気づく。このことばが、どこから来たのか。エヴァだ。
そして、答えは。
「…………イヤ。」
僕の悲鳴はこだまとなって、僕のあたまの中に響き続ける。ぼくが耳を塞いでも、聞こえ続けるのだ。
「僕はあなたといたい。ずっと一緒にいたいんだ。…助けてよ、ねえ、誰か僕を、お願いだから助けて。 助けてよ、助けてよ、僕を助けてよ! ………僕を見捨てないで!僕を殺さないで!!」
「………イヤ。」
性別を入れ替えてしまって、分かりにくいかも知れない。でも、聞こえる人にだけでも、聞こえて欲しい。聞こえないか?
そして、そこのあなた。あなたは僕に言うかもしれない。
「幻聴」
「感情論」
「お気持ち」
「フェミ発狂」
「理解力がない」
「聞こえませーん」
「これぞ女って感じ」
「落ち着いてください」
「見なければいいのでは」
「自分が吐いたゲロを自ら食ってる」
「現実と創作の区別はついていますか」
「ネタだと思ってたんだけどガチなの?」
「俺ツイフェミマニアだから気持ちよくなっちゃう」
聞こえるだけではない。こんどは見えるのだ。なぜか?
上の女性の引用リツイートを見れば、わかる。
そこに、書いてあるから。彼女にも、見えている。
こんな悲しいことってある?
あるのだ。ツイッター上に、いくらでもある。
そして、現実世界では、もっともっと様々な形で、場所で、いたるところで、無数に、陰惨に繰り返されているのだ。
「愛を叫んだ者」は「アイを叫んだケモノ」で「哀を叫び続けるモノ」になってしまった。こんな悲しい結末でいいの?庵野監督。
………そして、アンチフェミの怒りからも、耳をすませば、「悲鳴」が聞こえてくるのだ。たとえその怒りが、いかに理性的に、理詰めで語られていたとしても。嘲笑からすらも、聞こえてくる。よくよく耳を、すませば。
ほら、そこの君。君にはわかるだろう。僕と君は、同じだからね。同じオタク。…オタクはいいねえ。アニメは心を潤してくれる。リリンの生み出した文化の極みだよ。
まごころを、君に。
こんなバッドエンドは、いやだ。あらためて、シン・エヴァンゲリオンを作らなくてはいけない。…何十年かかるだろうか。本当にできるの?
ここに、最初の一歩がある。芝原めい氏による言葉をそのまま引用しよう。
………彼女は正気である。幻聴は聞こえていないようだ。僕とは違う。そして、僕より分かっている。
そう、あなただ。そこの賢いあなた。京大出て公務員をやっているようなあなただ。「話にならない僕や彼女の話」こそを、「聞いて」くれないか。その賢い頭で。聞こえて欲しい、あなたには。気が狂いそうな、ぼくのために。「言う」のを、ちょっととめて、「聞いて?」↓。
(The Blue Hearts 「人にやさしく」より)
ふふ、どうだい、僕は君たちよりキモイだろ?…ごめん。気分の悪くなったあなたは、上記の芝原めい氏のノートを読んで口直しをしてください。脳の味覚野は、「判断」を行うときに働いているそうだから*(1注)。「口直し」とは、比喩ではなく、脳生理学的に正しい言葉遣いだったのだ。次の本に記載がある。
お金のない人は、英語版なら以下からフリーダウンロードできる。pdfの56ページ付近に記述がある。
参照されている脳生理学的論文も、アブストラクトだけは無料で見られる。
それでは、また、いつか。いっしょに、うまいものを食べて、アニメでも見ようか。カラオケもいいかもね。じゃ、今は、これにて。
*1注)脳の味覚野と政治的判断の関連については、青識亜論氏からツイッター経由で、原典に至るまで教えていただいた。僕が原典に当たるまでに、失礼な質問をしたことを同氏にここで深くお詫びする。なお、僕は原典のうちごく一部しか読んでいないことを告白しておく。
2)ツイ主を「この女性」と勝手に呼んだが、そこはご容赦いただきたい。
3)シンエヴァと旧エヴァが混じっているが、見逃して欲しい。
4)青識-芝原論争、俗に言う青芝論争(ここをクリック)については、上記芝原めい氏の論考とは異なる、より俯瞰的かつ運動としてのフェミニズムを視野にいれた論考がシマヤ道楽店氏によりこちらに展開されており、一読を薦める。長大な青芝論争が、簡潔かつ精密に要約されているのも見逃せない。
5)芝原めい氏が「カヲル君」のモデルではないか、と筆者は考えている。より正確に言えば、同氏は「創作物世界から現実世界への異世界転生無双者」であろう。同氏の前世の記憶が戻るのを、筆者は心待ちにしていることを述べて、結語とさせていただく。