若者の浮世離れ IV

最近また精神を病んでいる。信じられないことだが、このわたしが自尊心や自己肯定感を完全に失うことになった。わたしは私的三大高慢野郎の一角を成していたはずなのに……

と昨年10月から散発的に、薬の副作用に苦しめられている。言いようのない不安が心中を圧迫し、そわそわして部屋中を歩き回る羽目になる。
はじめて経験したときは酷かった。明日友人との予定が入っているが、果たして定刻通り会えるだろうか? 明日は山登りをしようという予定だが、体力が衰えているいま果たして山登りができるだろうか? 普段なら取り越し苦労で済むはずのことなのに、わたしは結局予定を市内の散策に変えてしまった。この不安が今でも精神に悪影響を及ぼしている。
とくに厄介なのが、眠らなければいけないという焦燥感と、寝付けるかどうかという不安だ。これに加えて無意味に過ぎていく時間がわたしを痛めつけ、安息がさらに遠ざかる。毎晩この調子なので、もはや薬との相性にのみ原因を求めることはできない気がしている。

これに加えて、一日一日の充足感のなさに昨年10月頃から悩んでいる。きょう一日何もしなかった、無為で希薄な一日だったとどうしても感じるようになった。引きこもり同然の生活をしていればこうもなろう。

これら精神的苦痛の直接的な要因が副作用や単調な生活だとしても、主因は明白だ。わたしはここ一年まともな社会生活を行っていない、だからこうして苦しむことになっている。なんの集団にも属さず、社会とどんな関わりも持たず、会ってくれるのは彼氏と少ない友人のみ。京都に来るというのが大きな賭けだったというのは認めるけど、会える友人がたったの3人、そのうち2人とは昨年一年間で三度しか会っていないのだから、わたしの社交不足は深刻だ。
あるいは(個々人との人間関係ではなく)ひろく社会との接続、あるいは世界との接続というものを欠かしてしまってもいる。人間は社会的動物であるのに社会の一部として社会生活を送っていなければ、精神に不調を来すのも当然といえよう。

で、もう一つ要因を挙げるならば、投薬の成功にあるのではないかとも思う。
薬によって気分の波が予定通り抑えられ、限りなくフラットでどこかダウナーな心緒のまま一日が過ぎていく。波の消失はそのまま充足感のなさに結びつく。双極性障害とそれに伴う鬱状態には無縁になったが、それによって今度は薬の効能が(主作用副作用ともに)邪魔に感じられるようになった。それだけのことのように思える。
投薬以前のわたしと投薬以後のわたしの行動は、どちらがどれだけ病的だったのだろうか? 

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